ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (3) 第二節

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 子供というのは案外静かなものだと思う。
 その楽しみは、新年を迎える三週間ほど前から始まっていた。年末に入り慌ただしくなり始める時期だ。
 私の病室は、三階にある渡り廊下の、すぐとなりにある。ベッドに体を起こし、左側にある大きな窓をのぞくと、すぐ左に渡り廊下がつきだし、そのまままっすぐ私の正面に見える内科病棟まで続いている。その渡り廊下のつきあたるすぐ右、私のいる病室のちょうど向い側にあたる病室が、その子供達のいる病室であった。
 その子供達は入院しているといっても、ベッドに縛りつけられているわけではなく、どこが悪いのかと思うほど元気一杯に走り回っては看護婦さん達に怒られていた。その子供達がはしゃぎ回らずに静かにしているのが、不思議というかなんというか、私の向かいのベッドに寝ている、私と同じくらいの年齢の青年の周りであった。
 彼はJという童話作家だと名乗った。私はもちろん童話など読まないから、そんな作家が果たしているのか、しかも売れているのかいないのかなどは、とうてい知るはずはなかったが、とにかく彼のベッドのそばには童話の本や絵本が入った段ボール箱がおいてあった。
 彼は酔っぱらいにナイフで脇腹を刺されて担ぎこまれ、そのまま入院していたのだ。時々はっとするほど美人の姉が見舞いに来ていた。痛みは少ないのか彼は時々ベッドから這い出し、病院内を探索しているらしかった。
 彼が言うには、子供達に読ませるべき童話は、最高級といっていいほど質の高い作品でなくてはならない、そうだ。
「ぼくもそういう作品が書けたらなと思ってるんです……」
そういって恥ずかしそうに笑う彼は、やはり子供のように見えた。
 彼は暇があると小さなポータブル・ワープロを膝に乗せ、カチャカチャと小さな音を立てながら原稿を書いていた。そして子供達がどやどやと駆けこんでくると、さっとばかりにワープロをしまい、ベッドの下の段ボール箱から本を一冊取りだすと、まるで声優の様に変化に飛んだ太い声で朗読しはじめるのだ。子供達はその間、いつもの騒がしさはどこえやら、じっと耳を澄まし青年の少し青白く見える整った顔を見つめながら、わくわくするような、どきどきするような話に胸を躍らせているのだ。かくいう私もじっと聞き耳を立てるのが毎日の楽しみとなっていた。
 私も昔々に少し読んだだけの松谷みよ子の『竜の子太郎』やミヒャエル・エンデの『モモ』に感動している子供達は、まるで毎週のTVアニメの番組を見入るかのように、しんと静まりかえっている。彼の朗読を聞くのは私にとって、またとない娯楽であった。
 そんなある日、いつものように本を開き、昨日の続きを読みはじめようとした彼に、
「ねえ、今度はお兄ちゃんが作ったお話を聞かせてよ」
と一人の子供がせがんだのだ。
 彼は一瞬困った顔をしながら、
「よし、それなら、最初に昨日の本の続きを読もう。そしてまだ時間があったら、お兄ちゃんが作ったお話をしよう。ただし、検診の時間までだよ」
と手に持っていた絵本を開き、子供達に絵を見せながら昨日の続きを話し聞かせはじめた。
 本を読みおわると、検診の時間までは、まだいくらか余裕があった。そして彼は子供達を前に静かに語りはじめたのだ、悲劇の始まりとも知らずに──。