紳士の話は実に教養ゆたかなものであった。めずらしい海外の話や、この食堂に掲げられた数々の絵画やその他の芸術の話、さらには人生についての話や、老人のまったくわからない政治の話などもあった。
紳士は話のあいだから、老人がクラッシック音楽が好きだと知ると、さっそくいままで静かにかかっていた音楽をやめさせ、いろいろとクラッシックのレコードをかけて聞かせてくれた。老人が若いころ聞いただけの懐かしい曲や、今までまったく聞いたことのなかった曲──それは涙がでるほど美しい曲であった──がながれた。
「おじいさんはどんな曲がお好きですか?」
「はぁ、そうですね、その静かなピアノの曲なんかが……。そのなんていうのかは忘れましたが……」
老人には思い出の曲があった。まだほんとに若いころ、結婚する前に亡妻にプレゼントされた一枚のレコードがあった。その中の一曲が実に静かで美しいピアノの曲であったのだ。今ではそのレコードもどこへいったのか。思えば随分と昔のことである。
「ピアノ曲ですか。ピアノといえばモーツァルトやリスト、あとやはりショパンですか」
老人は、はっとした。
「あぁ、それです、そのショパンとかいう人の……」
そう聞くと紳士は、さっそく使用人に合図をして、屋敷にあるショパンのレコードを全部もってこさせたようであった。次々にかかるショパンの曲に老人はうっとりと耳を傾けていた。その中には老人の思い出の曲もあった、老人は涙を流しながらその曲に聞き入っていた。老人の思い出の曲は「夜想曲」といった。
食事がおわり、ここ数年味わったことのない楽しいひとときを過ごした老人は、別れを惜しむ紳士に礼をいい席を立った。
控えの間で使用人が抱えてきた老人の服を見るなり紳士は、
「おじいさん、これでは寒いでしょう」
といい、新しい普段着を用意してくれた。老人の目には、どうしてもよそゆきの服にしか見えなかったのだが。
老人が服を着替えると、使用人から老人の持ち物が返された、その中にはもちろん、あの変な男からもらった札束も入っていた。紳士は老人のお金にはいちべつもくれなかった。
玄関ホールで床に頭がつくのではないかと思えるほど紳士に礼をのべた老人は、来るときとは反対に、ゆっくりと車の後部座席にのりこんだ。今度は黒眼鏡のふたり組は乗り込まず、助手席の男と運転手との三人だけの道のりであった。
老人を送る車が走り去ったあと、紳士はぼそりとつぶやいた。
「これでよいのかな?」
助手席の男が自宅まで送ってくれると言っていたのを、無理にことわって、例の公園で降ろしてもらった。
老人が公園に降り立ったとき、辺りはすでに夜中であった。空は遥かかなたまで透き通り、満天にぎっしりと敷きつめられた星々が、いつ降りそそぐのかと思われるほどに白く輝いていた。
老人は思う。
(あぁ、今日はなんと素晴らしい一日だったことか、きっとあした、いや来年は素晴らしい年になるにちがいない、さっきまで死にたいなんて考えていた自分が、どんなに愚かだったことか)
老人は変な男にもらった札束をじっと胸に抱えながら、静かに家路についた。あと数時間で新しい年だ。