あるてみす (4)


 星が好きだった……、普段は私の世界に存在しない星々が。

 その街はとても空気が澄んでいた。都会とはいわれているが、単なる一地方都市、さらにその外れにある小さな山間部のベッドタウンである。光化学スモッグで汚染されるとこもなく、夜の灯りが夜空に照り映えることもない街の上空は、一面の星空、今ではよほど街外れの田舎へでもいかなければ拝むことの出来ない星空。あの頃はまだ街中でも眺められたのだ。
 それは冬が近づきかけた頃だったろうか、私がまだ幼かったある夜、多分小学校に上がる直前だったかの秋の夜のことだ。両親ともに仕事の都合がつかず残業をするからとの連絡が、一階の管理人室の前にある赤電話にかかってきたのは夕方の七時位であったろうか。その頃、私はもうそんなことには慣れっこになっていたので、何も気にすることなく、戸棚から一袋のインスタント・ラーメンを取り出し、丼の中へ入れ、既に冷めかけたぬるめのお湯を魔法瓶からそそぎ、簡単な夕食をすませた。映りの悪い白黒のテレビを眺めていると、あっという間に九時になった。幼い私は一人で押し入れから引っ張りだした布団を敷き、眠ることにした。両親が帰ってくる気配はまるでなく、私はその夜をひとりですごした。
 何故かは解らない、両親の不在に不安が募っていたような記憶もない、ただ何故か無性に興奮して、なかなか寝付けなかったのを今でもはっきりと覚えている。
 私は布団に入ったまま半身を起こし、枕許の窓を少し開いて夜空を眺め始めた。
 月は出ていなかった。アパートの外は真っ暗だった。それ程遅い時間だったとは思えない、遅くとも夜の十時頃だったはずだ。しかし表は弱々しい街灯の明りがうっすらと見えるだけで、騒がしい物音もなかった。かなり離れているはずの線路から貨物列車の走る音がゴトゴトと聞こえたかと思うと、しばらくして響くかすかな犬の遠吠え、ジジジジと小さくうなる街灯のノイズ。開いた窓から暗い室内に入り込んでくるのは、冷えた外気と、ただそれらの小さな街の音だけ……。
 アパートの小さな窓から見えた夜空、突然私の世界に飛び込んできた一瞬、今までに触れたことのない世界、目の前に広がる果てのない漆黒の闇、無数の小さな光。街の汚れた空気にさえぎられ、かすかにまたたく星たちに心をうばわれ、生まれてはじめてといっていい、至福の時を過ごしたあの夜。
 西向きの窓の外には、大きな十字架をかたどったような星が、一際白く明るく輝く星を頂点に、天の川の中程に堂々と輝いていた。今考えると、あれは多分デネブを頂点とした白鳥座だったのであろうが、星座に関して全く知識のなかった当時の私は、勝手に“十字架星”と名付けた。
 眠気は一向に訪れず、ぼんやりとあれこれ、とりとめのないことを考えていたのか、ふと気が付くと“十字架星”の一番下の小さな赤い星が、向かいの家の屋根に隠れて見えなくなっていた。今考えると当り前の事だが、当時非常に驚いた覚えがある、「星が動いている」ということに自ら思い当たったのだ。多分星空が、季節によって姿を変えるということも、まだ知らなかったのだろう。その時の衝撃は、具体的には覚えていなくとも、どれほどの大きさだったのかは、今でもはっきりと思い出すことができる。
 結局その夜は、“十字架星”が完全に見えなくなるまで起きていたような気がする。