あるてみす

あるてみす (11)


 駅前のバス停周辺は、下り特急が到着するのを待ちかねたように、慌ただしくなる。私たちは下り列車で到着した乗客たちに先立ってバスに乗り込み、ゆったりと席に着いた。発車したときは、正午を五分ほど過ぎていたろうか。
 菅沼町はのんびりとした雰囲気の田舎町で、駅前の通りは小さな商店街になっていた、菅沼商店街に並んでいるのは、日本のどの町でもお馴染みの、八百屋、魚屋、金物屋、小さな洋品店、全国チェーンの小さなスーパー、雑貨店、中華料理店というか町のラーメン屋等々。海が近いためか、商店街ですし屋を三店舗も見掛けた。
 どこにでもあるような町、それが菅沼町の第一印象だ。そしてとてもホッとさせられる町。その印象は、私が生まれ育った町と共通のもの、妙に落ち着いてしまう雰囲気だった。
 いくつかのバス停と信号を過ぎ、またいくつかの角を曲がると、磯の香は一層強くなっていった。そして、バスが走る道路の脇には、いつのまにか巨大な松林が並走するようになっていた。
 あの松林の向こうには、もう海が迫っているのだ。
 我々の目的地は、この菅沼海浜でも中心部から外れた辺りにあり、菅沼町と隣町とのほぼ境だという。駅前を発ってから二十分近くたってから、やっと車内アナウンスで目的のバス停の名が告げられた。

 遂にやってきた!
 バスを降りた私は、胸いっぱいに磯の香をため込むように深呼吸した。先程車窓から見えた海のイメージがフラッシュバックする。嗅覚が視覚のイメージを呼び覚ましているのだ。
 強烈なまでの磯の香りと、さわやかな松の匂い、風ひとつ吹かない中で照りつける焼けるような日射し。潮騒や浜辺の喧騒は、防風林に隔てられたここまでは届いては来ない。
「着いたね」
「ああ、君にとって初めての海さ。今の時期は毎年すごい人出だからね、きっとびっくりするよ、雑踏に」
 先に立って進むカケルにしたがって、私は防風林の間に造られたゆるくカーブした道を、初めての海岸へと向かっていった。

あるてみす

あるてみす (10)


 目的の駅へ到着したのは、お昼前だった。地元駅前に集合してから、もう、というか、まだ三時間程。
 小さな駅で、ホームは四つほどあるが、あまり使われているようには見えない。特急が停車するのが不思議なくらいだが、我々が乗った列車は、夏場だけの臨時列車で、この駅に特急列車が止まるのは、夏場のごく短い期間だけらしい。駅裏であるホームの向こうには、広々とした田畑が広がり、かなり離れて小さな山々が望める、その田畑の中程に巨大な看板がそびえている、
『ようこそ! 菅沼海浜へ』
我々が降り立った菅沼町は、海水浴場を抱えた、季節限定の観光町なのだ。普段は何でもないベッドタウンらしい。
 駅の反対、正面側へと目を移すと、こちらはうって変わり結構開けているらしく、二、三階建てと小さいながらも、いくつかのビルがぽつぽつとみえる。人通りも結構多そうだ。
 我々と同じ特急列車で到着した人々は、ざっと見渡しただけで、三、四十人ほどいた。みんなラフで簡単な服装をし、サンダル履きの家族連れが多いようだ。やはりみな海水浴にきた客らしい。
 改札を抜けると、小さなキオスクがあり、我々は安い弁当を買う、バスを一本見送りながら腹を満たした。弁当の空箱を片付け終えると、次のバスの発車まで十分程になっていた。
「カケル、海の匂がするんやね」
「え? ああ。そうかなぁ、別に感じないけど。それに海までだいぶ距離があるよ」
「でも感じるんだ。胸がどきどきしてる、何だか興奮してるんだ」
「ハハ、今からそんなんじゃ、実際に海を見たら、いったいどうなるか分かんないじゃん」
 カケルに笑われたが、実際私は興奮状態に陥っていたのだ。

あるてみす

あるてみす (9)


 私たちは定刻通りに発車した上り特急列車の自由席に座り、ビル群の谷間を抜けてゆく。座席に滑り込めたのは奇跡的な偶然だったのか、車内はぎっしりと混雑しており、狭い通路にも人が溢れたいた。そこかしこで楽しそうに弾む会話、車窓には流れ去るビルまたビル、路線わきを平行する国道の車を追い越しながら、次々と過ぎゆく景色。私はカケルとぽつりぽつりと、とりとめもない会話を交しながら、じっと車窓の風景に目を向ける。突然ビルの姿は消え、こじんまりとした住宅街が姿を現す。次々と駅を通過しながら列車は駆け抜けてゆく。この列車の中は、外の世界から完全に切り離されている、私はそんな気持ちにうたれ、現実のものと思えない速度で変化してゆく世界に戸惑いを覚える。
 とぎれた会話に、ふとカケルを見ると、カケルは座席に頭を持たせかけ、静かに眠りに落ちていた。眠いのは私も同じだったが、初めての旅に興奮していた私は、ただじっと窓の外を眺めながら、窓枠に切り取られた、流れ消えゆく別世界の町並みを、一軒一軒と数えるように見つめていた。
 そろそろ十一時になろうかというころだった、それまで谷間を走っていた列車の周囲が突然開け、緩い傾斜の先に、真っ青な空と解け合うようにそれが横たわっているのが望めた。車内が一瞬ざわめく。
 海だ……。

 海だ、海だ、海だ、ついにやってきた。
 それまで、変わり栄えのしない山間部の風景にうんざりとし、うつらうつらと船をこぎ始めていたわたしは、瞬時に目がさえ、座席の上に起き上がる。海だ、始めてみる海、それまでテレビや写真で見ていた海と同じようでいながら、どことなくなにか特別なものを見たような感慨が私を捉えた。
 と、鼻先にかすかに、初めて嗅ぐ香りが……、潮の香? 特急列車の窓はどこもはめ殺しのため、車外の空気が流れ込むことはないのに?
 まだ海はだいぶ離れている。波打ち際は木々の陰に隠れて見えない、静かに揺れる白い波頭、漁港が近いのか沖に浮かぶ小さな漁船が数隻。
 列車がスピードを落とし、次の駅のホームに滑り込む。乗降口が開き、この車両からも数名が降り、また乗り込む。先程鼻先に感じた香りが、今度は鼻の奥をツンと刺激する。潮の香、はっきりと強くではないにしろ、その空気中に含まれる成分は、私の街のそれとは微妙に違い、私に世界が変わったことをはっきりと認識させた。そうだ、この香りだ。海苔の香りのようでかすかに違う、あさりの匂いとも違うし、ましてや鮮魚の生臭さとも違う。とにかくその磯の香だ、これこそがテレビや写真だけでは感じられない、私がありありと具体的にイメージできなかったものの正体だ。存在は視覚だけではなく、嗅覚や聴覚、さらに空気に含まれる微妙な成分の差から感じられる触覚の違い、そられの様々な要素を体全体で感じて、我々は初めて具体的な存在をリアルに認識するのだ。海だ、まだ遠く離れているが、私は今度ははっきりと海の存在を感じ、ふつふつと身内から沸き上がる興奮を感じていた。私はその時、初めて海に出会ったのだ。私の世界がまたひとつ確実に広がった瞬間だった。
 実際に目の前に海を望み、その中に飛び込んだときのことを想像し、私はさらなるショックと興奮とに襲われた。列車の揺れや騒音はもはや私の意識の中から排除され、私は具体的なイメージに身をまかせた。世界が広がった瞬間から、私は海のイメージをありありと思い浮かべることができるようになったのだ。

あるてみす

あるてみす (8) 第二章

  2

 出発当日、八月十日金曜日、その日はとにかく暑かった。
 朝を迎えると、すぐに飛び起き窓を開ける。期待に胸を弾ませながら空を見上げると、雲ひとつない青々とした全天にわたり、溢れかえるどっしりと重い密度の濃い太陽の光量。これならきっと、日本全国海水浴日和、と思いきや、テレビの天気予報をみると、我が街は午後から発達した温暖前線につかまり、明日の午後まで土砂降りとのこと。しかし私とカケルは昼前にはこの街を発ち、温暖前線につかまる前に、はるか遠い日本海を望む町まで去ってゆく。我々の目的地は、天気予報では晴天。長期予報を見てもここ一週間は、崩れることはないだろう。

 九時前に駅前に集合。
 私は大きなユニオン・ジャックのTシャツにストーンウォッシュのブルージーンズ、布製のサンバイザーに白いスニーカー、手には水色のスイミングバッグ。そんないでたちで待ち合わせの駅へ向かった。
 カケルは先に来ていた。まっさらな白いTシャツに、デニムのショートパンツ、ローカットの黒いコンバースに黒色の野球帽、背中には布製の黒いナップサックを背負っている。こんなに暑いのに、カケルはさっぱりとしたさわやかな笑顔で手を振っていた。
「おはよう。タケル」
「おはよう。めちゃめちゃ晴れたね」
「うん。暑くてたまらん、さっさと海に飛び込みたいよ」
 二人で連れだって地元駅を出発、列車は溢れる光と熱に焼かれながら、一路ターミナルステーションを目指す。私の初めての旅が始まったのだ。
 始めは空いていた車内も、時間がたちターミナルステーションへ近づくにつれ、目にみえて混雑してゆく。三十分ほど揺られていくと、一気に線路の周囲は開け、線路の数は十数へも分岐してゆく。その周りには背の高いビル群が連立し、列車はそのメトロポリスの中をゆっくりとターミナルステーションのホームへと滑りこんでゆく。
「タケル、朝メシ食った?」
「ううん」
「オレも。ハラ減っちゃって」
「駅着いたら何ンか買おうか」
「ああ」
 列車はここが終点だったため、乗客は総て下車する、私たちも満員の人ごみをぬって、目的の特急列車のホームへとたどり着いた。
 とにかく人が多い、山へ行く人、海へ行く人、様々な服装をした旅行客、丁度お盆休みに重なる時期なためか、家族連れの帰省ラッシュも重なり、大変な人出だ。ちらほらと背広姿のサラリーマンも見える。取り敢えず我々は、パンと牛乳で簡単な朝食を済ませるためキオスクへ向かい、特急列車を待つ間にホームのベンチで食事を済ませた。
「オレ、特急に乗るのって初めてなんだよな」
「うそぉ」
「ホント。カケルは毎年海に行くのに乗ってたんだよな」
「うん。でも東京からでも、僕がいたところからだとほとんど一日がかりだったんだ。ここからだと四時間もかからないけどね」

あるてみす

あるてみす (7)


 カケルには、日本海のとある町で『海の家』を経営している伯父さん夫婦がいるとの事だった。カケルは毎年夏になると、ひとりで伯父夫妻の家へ出かけ、二週間ほど過ごすらしい、しかしその年は私を誘って二人で出かけようというのだ。私が躍り上がって喜んだ事は言うまでもない。
 私が今まで本物の海を見たことがない、と言うとカケルは驚いて、本物の海がいかに素晴らしいか、そしていかに大きいかをカケル独特のユーモアを交えて、面白おかしく語ってくれた。もう私の胸は期待でいっぱいだった、どこまでもどこまでも青く広がる空と、その空の広大さにも負けないほど遥かな海原、テレビや写真で見ただけの海のイメージは私の中で、自分勝手にどんどんと成長していった。
 夏休みに入り、両親に旅行の事を話すと、二人は別に自分たちには何も関係のない話のように、知らぬ顔で聞き流しながら「じゃあ行ってらっしゃい」とすまして答えた。てっきり子供だけの旅行には反対するものとばかり思っていた私は、この時ほど両親の無関心さに感謝した事はなかった。
 出発は、夏休みが始まってしばらく経った八月十日に決まった。それまでに夏休みの宿題を全部済ませ、準備万端整える。

あるてみす

あるてみす (6)


「こんにちは、君は北小から来たの?」
 私は西小学校からの進学組だった、今まで顔もみたこともない以上、彼は北小学校からの進学組だと思ったのだ。彼はその体格とは違った子供らしい顔に、ニコリと白い歯を見せて、はにかむように笑って首をふった。
「僕、一週間前に東京から来たんだ。親の仕事の都合でね」
「すげぇなぁ、東京かよ。じぁあ転校生だな」
と隣りにいた友人が感心する。
「でも、別の中学から来た訳じゃないから、転校生じゃないだろう」
私がまぜっかえすと、その友人は
「でもタケル、とにかく転校生の新入生さ!」と笑う。
 新しい友人は驚いた顔をし、私に聞いた。
「君はタケル君っていうの? 僕はカケルっていうんだ。よろしくね」
 私の名前はタケル、彼の名前がカケル。名前が似ている、最初はただそれだけの理由で始まった友情だっだ。
 カケルは私と違って随分と活動的な人間であった。どうやら小学校入学の前かららしいが、スポーツ万能で、たいていどんな競技でも自在にこなしていたらしい。その当時も野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、水泳、鉄棒、陸上競技と、カケルはどんなものでも一通りこなし、そのほとんどの競技で上位に入る実力を持っていた。かといって勉強の方ができない訳でもなく、学年でも上位五位に入るくらい頭は良かった、更にユーモアのセンスもあり、入学してすぐにクラスの人気者になってしまった。小学校時代の“しがらみ”がないためか、カケルは誰からも好かれたし、誰とも敵対しなかった。

 それは一学期も半ば過ぎ、新しい校舎や中学生活に慣れ始めた頃だった。
 梅雨の真っ只中だったろうか、昼休みの時間だったのははっきりしている。じめじめとかび臭い雨が、数日間も降り続いたため、校庭は全体が大きな水たまりとなり、人の姿はまったくない。食後の運動だとばかりに、はしゃぎまわりたい連中は、おんぼろ講堂と廊下を走り回っている。「食後はのんびりと過ごしたい」と考えている一部の生徒たちは、こうやって、校舎の外れにある図書室に入り浸っている。そのとき私とカケルは、図書室の窓際にもたれ、のんびりと雨にうたれつづける校庭を眺めていた。私は、カケルに子供っぽいと笑われながら、エンデの『モモ』を片手に、ジジが話す「コロシアムの上にもう一つ地球を作ってしまう」という話をしていた。地球にある材料だけを使って、新たに地球を作る話だ。材料は地球一個分しかないのだから、結局新しい地球が残って、古い地球はなくなっていしまう。
 少しずつ旧地球から材料を持ちより、新地球を作るとして、重力以外の何で新地球をまとめていけばいいのか。地球の“核”は、いったい何に入れて運べばいいのか。だとかのくだらない問題を、インチキな理論でもいいから、納得がいくように相手に説明できるかを二人で競っていた。たしか私は、地球の地軸が傾いたのはこのときだ、と訳の分からないことをいったのを覚えている。
「でも、あらかじめ陸地を造ってからでないと、海水を入れることが出来ないよ。新地球の陸地が出来るまで、旧地球の海は、宇宙空間に置きっぱなしにしないと」
 カケルが、そんなとんでもない空想をし、私が
「でも陸地が出来てるということは、その時には、新地球に重力が出来てるはずだから、コロシアムの上空から、とんでもない量の海水の雨が降ってくるはずだ、この時、泳げない人間はみんな死んじゃうんだ」と、さらに理論を暴走させる。
 カケルが突然「海へ行こう」と誘ったのはその時だった。

あるてみす

あるてみす (5)


 小学校に入り、私は星への興味をさらに強くしていった。
 ボール紙でできた理科の教材の、全天球図のボードを片手に、アパートの二階の窓から首を突き出し、星空を眺めていたものだ。両親に天体望遠鏡をねだったが、すげなく断わられ、仕方なしに肉眼で観測を続けていたが、メジャーな天体イベントの情報など知るはずもなく、ただ天球図と照らし合わせ、星座の位置を確認して満足していたような、そんなささやかな楽しみだっだ。
 高学年の頃になると、両親が残業でいない夜に、学校の図書室から借りてきた天文関係の本と首っ引きで、徹夜で星空を眺めていた。狭い部屋にひとり、銀河の彼方へつらなる薄汚れた窓を開き眺めた、幾千もの輝きに満ちた夜空。大宇宙の見えない重力場に引きつけられるかのように、星空の中心へ向かって落ちていった日々。両親が今帰ってくるか、今帰ってくるかと怯えながら続けた密かな時間。一番美しかったのは真冬の夜明け前、昇りくる太陽を待つ時間、あの時の星の輝きは……、夜の静寂の中で空気中の不純物は徐々に大地に沈殿、堆積し、乾燥した大気中のわずかな水分は街のあちらこちらに散らばる雑草たちの葉先に水滴となって降り積もり、純粋な気体となった厚い大気層を突き破り降り注ぐ、幾億もの歳月をのり越えたたったひとつの光たちが、この私の瞳の水晶体のただ一点に到達した瞬間、私は宇宙と一体となった……、そんな気がした夜。昇りはじめた太陽の光が、星たちの輝きを弱々しいまたたきに変えはじめた時、両親の帰宅の気配に怯えながら、冷えきった部屋の中でもぐりこんだ布団の冷たい感触、凍えた体とは対照的に、熱く震える胸をどうにもならない思いでいっぱいにしながら、朝を迎えたあの夜。
 年を追うごとに広がり続ける私の世界は、それでも、この薄汚れたアパートの、建てつけの悪い窓から眺める星空以外は、この街の一部から広がることはなかった。

 そんな私に新たな世界を見せてくれたのは、中学に入学してできた新しい友人だった。
 当時のカレンダーを繰ると、入学式は四月九日、月曜日、この日が私とカケルが出会った最初の日だ。
 若々しい新緑の薫り、風に舞う桜の花びらの淡い色彩と、首筋に硬い詰め襟の感触。徐々にあの時の記憶が、はっきりと浮かんでくる。小学校のそれとは、全く違う造りの講堂に、戸惑いながらの入学式。壇の脇に掲げられた、全く聞いたことのない校歌の歌詞。かなり古い建物で、新築のぴかぴかだった小学校の講堂とは違い、真っ白にすりへった床板。周りの全員が、卸したての制服を着たぎこちなさと、今までに触れたことのない、そう、つい先日経験したはずの卒業式の寂しさとはまた違った微妙な緊張感。そんな入学式が終わり、各自それぞれのクラスに分かれ、教室の窓際にある自分の席についたとき、私の目の前に座っていたのがカケルだった。その時は以後二十年以上も続く親友との出会いだとは、もちろん夢にも思わなかった。
 教室の中で騒いでいるのは、近隣の二つの小学校区から集まってきた仲間たち、初めてみる顔、あるいはよく知った友人の顔が入り乱れ、それぞれ小さな“グループ”を作って騒いでいる。中にはわざわざ別のクラスから、小学校時代のクラスメイトに逢いに遠征してきた女子もいる。そんな中、カケルはひとりで椅子に腰掛け、ぼんやりと窓の外を、東の空に昇ったばかりの真昼の月を眺めていた。ハーフ・ムーン、おぼろげな記憶の中に、その上弦の月は、はっきりと焼き付けられている。
 たくましく日に焼けた浅黒い肌と、とても中学生には見えない恵まれた大きな身体つき。そんな彼がたったひとりで、孤独に椅子に掛けているのが、不思議でしょうがなく思えた。彼と真昼の月は、なんとなく妙な取り合わせだった。私は何気なく彼に声をかけた、普段あまり積極的とはいえない私が、見ず知らずの人間に、自分から声をかけるなんてまずないことだった。その時、周りの友人たちは一様に驚いたらしいのだが、私は別段意識もせずに、自然に声を掛けただけだった。えてして運命的な出会いだとか、新しい友情の始まりだとかは、このように何気なく始まるものなのだろう。

あるてみす

あるてみす (4)


 星が好きだった……、普段は私の世界に存在しない星々が。

 その街はとても空気が澄んでいた。都会とはいわれているが、単なる一地方都市、さらにその外れにある小さな山間部のベッドタウンである。光化学スモッグで汚染されるとこもなく、夜の灯りが夜空に照り映えることもない街の上空は、一面の星空、今ではよほど街外れの田舎へでもいかなければ拝むことの出来ない星空。あの頃はまだ街中でも眺められたのだ。
 それは冬が近づきかけた頃だったろうか、私がまだ幼かったある夜、多分小学校に上がる直前だったかの秋の夜のことだ。両親ともに仕事の都合がつかず残業をするからとの連絡が、一階の管理人室の前にある赤電話にかかってきたのは夕方の七時位であったろうか。その頃、私はもうそんなことには慣れっこになっていたので、何も気にすることなく、戸棚から一袋のインスタント・ラーメンを取り出し、丼の中へ入れ、既に冷めかけたぬるめのお湯を魔法瓶からそそぎ、簡単な夕食をすませた。映りの悪い白黒のテレビを眺めていると、あっという間に九時になった。幼い私は一人で押し入れから引っ張りだした布団を敷き、眠ることにした。両親が帰ってくる気配はまるでなく、私はその夜をひとりですごした。
 何故かは解らない、両親の不在に不安が募っていたような記憶もない、ただ何故か無性に興奮して、なかなか寝付けなかったのを今でもはっきりと覚えている。
 私は布団に入ったまま半身を起こし、枕許の窓を少し開いて夜空を眺め始めた。
 月は出ていなかった。アパートの外は真っ暗だった。それ程遅い時間だったとは思えない、遅くとも夜の十時頃だったはずだ。しかし表は弱々しい街灯の明りがうっすらと見えるだけで、騒がしい物音もなかった。かなり離れているはずの線路から貨物列車の走る音がゴトゴトと聞こえたかと思うと、しばらくして響くかすかな犬の遠吠え、ジジジジと小さくうなる街灯のノイズ。開いた窓から暗い室内に入り込んでくるのは、冷えた外気と、ただそれらの小さな街の音だけ……。
 アパートの小さな窓から見えた夜空、突然私の世界に飛び込んできた一瞬、今までに触れたことのない世界、目の前に広がる果てのない漆黒の闇、無数の小さな光。街の汚れた空気にさえぎられ、かすかにまたたく星たちに心をうばわれ、生まれてはじめてといっていい、至福の時を過ごしたあの夜。
 西向きの窓の外には、大きな十字架をかたどったような星が、一際白く明るく輝く星を頂点に、天の川の中程に堂々と輝いていた。今考えると、あれは多分デネブを頂点とした白鳥座だったのであろうが、星座に関して全く知識のなかった当時の私は、勝手に“十字架星”と名付けた。
 眠気は一向に訪れず、ぼんやりとあれこれ、とりとめのないことを考えていたのか、ふと気が付くと“十字架星”の一番下の小さな赤い星が、向かいの家の屋根に隠れて見えなくなっていた。今考えると当り前の事だが、当時非常に驚いた覚えがある、「星が動いている」ということに自ら思い当たったのだ。多分星空が、季節によって姿を変えるということも、まだ知らなかったのだろう。その時の衝撃は、具体的には覚えていなくとも、どれほどの大きさだったのかは、今でもはっきりと思い出すことができる。
 結局その夜は、“十字架星”が完全に見えなくなるまで起きていたような気がする。

あるてみす

あるてみす (3) 第一章

  1

 ある地方の中心的な都市、人間達が鬱蒼と生い茂り、巨大なビル群が連綿とそびえる大都会という山の峰。その都心部を、こちらは本物の山間部へと少し外れた小さな一角に、その街はあった。まるで眼にも止まらぬ菌類のように、細々と人間が生活する小さな街。その街の中心部には、ままごと遊びのように小さな商店街が申し訳程度にならび、その向こうの空に銭湯の煙突が一本、ぽつりと立っているだけで、あとは古くからある一戸建の家々と小さなアパートが軒を連ねるようにならんでいる、ただそれだけの住宅街。もちろんその頃にはマンションなどというものは、都心部へと出て行かなければ拝めないような時代だった。都会の喧騒から完全にシャットアウトされた静かなベッド・タウン、夜になると人口が昼間の倍以上に膨れあがるような、都心と同じようにひねくれた、不自然な形でしか存在できない小さな街、そこが私のホーム・タウンだった。駅からもバス停からも、銭湯やもちろん商店街からも離れた小さな一件のおんぼろアパートの二階の一室が、私と両親が生活する空間。特に取り柄とてない共働きの両親は、何とか職を失うこともなく、毎朝毎朝、都心へと出勤してゆく。両親共に働いていても、なかなか生活は楽にはならず、そのアパートを出て、新たに部屋を探すなんて思いもよらなかった。その部屋での三人だけの暮らしが、もう十二年間続いていた。
 本当に狭いアパートだった。いつ頃建てられたのか、古びた木造の小ぢんまりとした造り、長い間人間の足元に横たわりニスがはげ木目もみえないくらい黒く汚れたギシギシときしむ階段、建てつけが悪くガラスがゆがんだ木枠の窓、昼間でも薄暗い足元を照らすくすんだ裸電球、不精を決め込んだ住人がためにためた洗濯物と洗い物のすえた匂い、ちょこんと玄関わきに積まれた縁の欠けた出前の丼。今でも眼を閉じると、ありありと存在感を持って思い浮かべることができる。その時既に築三十年以上は経っていたのは確かだ。もちろん今は存在すらしていない。二、三年前、友人の結婚式の帰りに偶然通りがかった時には、確か跡地には十五階建程の大きなマンションが建っていたのを覚えている。
 私が住んでいたのは、そんな街にある、そんな小さなアパートだ。何処にでもあるささやかな、住民が落ち着いて暮らせ、身辺を騒がすような事件や事故も極端に、いやほとんどない、そんな街。その街の中のほんの一部分を占める町内と、小さな2DKのアパートの一室が、それまでの十二年間の私の人生にとっての現実世界の全てであった。目を見張るような大自然の景観も、果てなく続く青い海原も、記号と化した人間たちがうごめくビル街の谷間も、私の世界にはなかった、それらはテレビや写真の中に封じ込められた別世界の風景、非現実の世界だった。社会科見学のバスの窓から眺めた街の風景も、修学旅行で出かけた古都の風景も、誰かが切り取ったような、ひどく観る者を意識した景観、それらも一時的な架空の世界の物だった。
 世界はとても小さかった、そう、私にとっては……。

あるてみす

あるてみす (2)


 私は“群集”をすり抜け、たどり着いた交差歩道橋の上から、真下の交差点を見下ろし、途切れもせずに、ひっきりなしに走りまわる車の流れを見つめていた。私の後ろを無関心な人々の列が、細く途切れがちなせせらぎとなって通り過ぎてゆく。私は「ほぅ」とひとつ大きな長嘆をもらす。
 さすがにこの歳になると無理な徹夜は体にひびく。完徹ではなかったが、それでも一日平均一時間の睡眠、さらに土日返上でここ一ヶ月ほど休みなし。たまった疲れは、完全に癒されることはなく、ただ倍増するように積み重なっていってしまう。しかし、プロジェクトは遂に峠を越えた、今日は帰ってゆっくりと休める。仕事から開放されたためか、張り詰めた緊張の糸が切れたように、それまでの疲労がいっきに吹き出したようだ。ぼんやりとした意識を振り払おうと、私は左右に思いっきり頭を振り、形だけ首にぶら下げたネクタイをゆるめた、そしてゆっくりと空を見上げる。

 月だ……。

 かなり低い位置だったが、夕暮れ前の南の空に、林立する巨大なビルの谷間に、都市計画者やビル設計者、ましては都市開発を担う役所の担当課の課長などが思いもよらなかったように、ザックリと美しく切り取られた、大都会のただ中の自然の空に、ポツリと蒼白い半月が浮かんでいた。

 私の心は急速に少年時代へと引き戻されてゆく、あの懐かしい海辺へと。
 思い出すのは、あの真夏の夜。あの暗く静かな日本海の波音。そして、夢の世界へさまよった、あの幻想の出来事……。ベックリンの絵のような、ゴヤの黒い絵のような、超越された現実を夢想と夢幻の中に描く、幻視者の幻の論理の上になりたった怪しい夢、哀しいまでに現実を思い起こさせる、条理的でいてなおかつ不条理な“夢”の出来事を。そう、きっと夢なのだ、あの思い出が現実であるわけはなかった。しかし、それからの私の人生を完全に変えてしまった夏、こうやって徹夜明けの重い体を引きずって月を見上げているのも、すべてあの夏の夜が始まりだった。思い出されるのは、そんなはかない別の世界で起きたような出来事と、数え切れない豊かな生命の誕生……、そしてその限りない死滅……。
 私が初めて海というものを目の当たりにしたのは、そう、今からもう二十年近く以前のことになる。その年に知り合った新しい友人とともに、その海へ出かけた。
 日本海に面した小さな海水浴場で、三方を松林にかこまれた小さな海の家。静かな波打ち際が続く、ぽっかりと海に突き出した海岸線。それは私が中学へ入学した年の夏のこと、私はまだ十二歳だった。
 私はそれまで海を見たことがなかった。