小学校に入り、私は星への興味をさらに強くしていった。
ボール紙でできた理科の教材の、全天球図のボードを片手に、アパートの二階の窓から首を突き出し、星空を眺めていたものだ。両親に天体望遠鏡をねだったが、すげなく断わられ、仕方なしに肉眼で観測を続けていたが、メジャーな天体イベントの情報など知るはずもなく、ただ天球図と照らし合わせ、星座の位置を確認して満足していたような、そんなささやかな楽しみだっだ。
高学年の頃になると、両親が残業でいない夜に、学校の図書室から借りてきた天文関係の本と首っ引きで、徹夜で星空を眺めていた。狭い部屋にひとり、銀河の彼方へつらなる薄汚れた窓を開き眺めた、幾千もの輝きに満ちた夜空。大宇宙の見えない重力場に引きつけられるかのように、星空の中心へ向かって落ちていった日々。両親が今帰ってくるか、今帰ってくるかと怯えながら続けた密かな時間。一番美しかったのは真冬の夜明け前、昇りくる太陽を待つ時間、あの時の星の輝きは……、夜の静寂の中で空気中の不純物は徐々に大地に沈殿、堆積し、乾燥した大気中のわずかな水分は街のあちらこちらに散らばる雑草たちの葉先に水滴となって降り積もり、純粋な気体となった厚い大気層を突き破り降り注ぐ、幾億もの歳月をのり越えたたったひとつの光たちが、この私の瞳の水晶体のただ一点に到達した瞬間、私は宇宙と一体となった……、そんな気がした夜。昇りはじめた太陽の光が、星たちの輝きを弱々しいまたたきに変えはじめた時、両親の帰宅の気配に怯えながら、冷えきった部屋の中でもぐりこんだ布団の冷たい感触、凍えた体とは対照的に、熱く震える胸をどうにもならない思いでいっぱいにしながら、朝を迎えたあの夜。
年を追うごとに広がり続ける私の世界は、それでも、この薄汚れたアパートの、建てつけの悪い窓から眺める星空以外は、この街の一部から広がることはなかった。
そんな私に新たな世界を見せてくれたのは、中学に入学してできた新しい友人だった。
当時のカレンダーを繰ると、入学式は四月九日、月曜日、この日が私とカケルが出会った最初の日だ。
若々しい新緑の薫り、風に舞う桜の花びらの淡い色彩と、首筋に硬い詰め襟の感触。徐々にあの時の記憶が、はっきりと浮かんでくる。小学校のそれとは、全く違う造りの講堂に、戸惑いながらの入学式。壇の脇に掲げられた、全く聞いたことのない校歌の歌詞。かなり古い建物で、新築のぴかぴかだった小学校の講堂とは違い、真っ白にすりへった床板。周りの全員が、卸したての制服を着たぎこちなさと、今までに触れたことのない、そう、つい先日経験したはずの卒業式の寂しさとはまた違った微妙な緊張感。そんな入学式が終わり、各自それぞれのクラスに分かれ、教室の窓際にある自分の席についたとき、私の目の前に座っていたのがカケルだった。その時は以後二十年以上も続く親友との出会いだとは、もちろん夢にも思わなかった。
教室の中で騒いでいるのは、近隣の二つの小学校区から集まってきた仲間たち、初めてみる顔、あるいはよく知った友人の顔が入り乱れ、それぞれ小さな“グループ”を作って騒いでいる。中にはわざわざ別のクラスから、小学校時代のクラスメイトに逢いに遠征してきた女子もいる。そんな中、カケルはひとりで椅子に腰掛け、ぼんやりと窓の外を、東の空に昇ったばかりの真昼の月を眺めていた。ハーフ・ムーン、おぼろげな記憶の中に、その上弦の月は、はっきりと焼き付けられている。
たくましく日に焼けた浅黒い肌と、とても中学生には見えない恵まれた大きな身体つき。そんな彼がたったひとりで、孤独に椅子に掛けているのが、不思議でしょうがなく思えた。彼と真昼の月は、なんとなく妙な取り合わせだった。私は何気なく彼に声をかけた、普段あまり積極的とはいえない私が、見ず知らずの人間に、自分から声をかけるなんてまずないことだった。その時、周りの友人たちは一様に驚いたらしいのだが、私は別段意識もせずに、自然に声を掛けただけだった。えてして運命的な出会いだとか、新しい友情の始まりだとかは、このように何気なく始まるものなのだろう。