ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (4) ☆

   ☆

 あるところに、大きな病院がありました。とても大きな病院で、建物が三つ、それと渡り廊下が三つありました。お空から見るときっと三角の図形のように見えたことでしょう。その病院の名前は星野病院といいました。
(ねえ、星野病院ってここのことだよ)
(そんなこと知ってるよ)
(シィーッ)
 その大きな病院のとある病室に、五人の子供達が入院していました。みんなとっても元気で、とても病気をしてるようには見えません。その五人はいつも一緒になって病院中を探検してまわり、看護婦さんやお医者さんたちに怒られています。その五人の子供達は、女の子が二人に男の子が三人。二人の女の子は、雪ちゃんと、
(あっ、わたしのことだよ)
さっちゃん。
(こんどは、わたしだっ)
三人の男の子は、五郎君と、
(ぼくのことだ)
ひろし君と、
(こんどは、ぼくだよ)
ゆうき君。
(ぼく、ぼく)
 そのなかで、雪ちゃんはここのところ、毎日さみしい気分です。どうしてかと言えば、雪ちゃんが病院に入院してから、一度もおとうさんがお見舞いに来てくれないからです。
 ──そのとき、雪ちゃんは少しさみしげにうつむいた。彼女のおとうさんが見舞いに来ないのは本当のことなのだ──
 雪ちゃんのおとうさんはお仕事が忙しくて、毎日朝早くから夜遅くまで働いています。朝は早く会社にいかなくてはいけないので、病院には寄れません。夜は遅く帰ってくるので、病院はもう閉まっているのです。おとうさんもどうしても雪ちゃんのお見舞いに行きたいのに、どうしてもいけなくて悩んでいたのです。
 ある日のこと、その日雪ちゃんは、お昼寝をたくさんしていたので、夜になってもなかなか眠れません、ずっと目がさめたままでいたのです。あまりに眠れなくて雪ちゃんはしょうがなくベッドから降りて、そっと窓のそばまで行きました。そしてそっとカーテンをめくってお外を見ました。外はとっても寒いのでしょう、病室の窓はびっしりと濡れて曇っています。雪ちゃんは手のひらで窓をぬぐい、窓に顔を近づけてそっとお外を見てみました。そこには真っ黒な空の中にたくさんのお星様がキラキラと輝いています。その小さなお星様たちは、まるで今にも雪のように、キラキラと雪ちゃんの前に降ってきそうです。
 そうやってしばらくお星様を見ていた雪ちゃんは、突然キラキラと本当にお星様が降ってきたのでびっくりしてしまいました。それは白く小さなながれ星でした。
 昔からながれ星が見えている間にくり返し三回願いごとを唱えると、その願いごとが叶うといわれています。雪ちゃんはとっさに、
「おとうさんがお見舞いにきてくれますように、お見舞いにきてくれますように、お見舞いにきてくれますように」
とすばやく願いごとをかけました。
(さあみんな、検診の時間だ。続きは明日ね)

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (3) 第二節

   2

 子供というのは案外静かなものだと思う。
 その楽しみは、新年を迎える三週間ほど前から始まっていた。年末に入り慌ただしくなり始める時期だ。
 私の病室は、三階にある渡り廊下の、すぐとなりにある。ベッドに体を起こし、左側にある大きな窓をのぞくと、すぐ左に渡り廊下がつきだし、そのまままっすぐ私の正面に見える内科病棟まで続いている。その渡り廊下のつきあたるすぐ右、私のいる病室のちょうど向い側にあたる病室が、その子供達のいる病室であった。
 その子供達は入院しているといっても、ベッドに縛りつけられているわけではなく、どこが悪いのかと思うほど元気一杯に走り回っては看護婦さん達に怒られていた。その子供達がはしゃぎ回らずに静かにしているのが、不思議というかなんというか、私の向かいのベッドに寝ている、私と同じくらいの年齢の青年の周りであった。
 彼はJという童話作家だと名乗った。私はもちろん童話など読まないから、そんな作家が果たしているのか、しかも売れているのかいないのかなどは、とうてい知るはずはなかったが、とにかく彼のベッドのそばには童話の本や絵本が入った段ボール箱がおいてあった。
 彼は酔っぱらいにナイフで脇腹を刺されて担ぎこまれ、そのまま入院していたのだ。時々はっとするほど美人の姉が見舞いに来ていた。痛みは少ないのか彼は時々ベッドから這い出し、病院内を探索しているらしかった。
 彼が言うには、子供達に読ませるべき童話は、最高級といっていいほど質の高い作品でなくてはならない、そうだ。
「ぼくもそういう作品が書けたらなと思ってるんです……」
そういって恥ずかしそうに笑う彼は、やはり子供のように見えた。
 彼は暇があると小さなポータブル・ワープロを膝に乗せ、カチャカチャと小さな音を立てながら原稿を書いていた。そして子供達がどやどやと駆けこんでくると、さっとばかりにワープロをしまい、ベッドの下の段ボール箱から本を一冊取りだすと、まるで声優の様に変化に飛んだ太い声で朗読しはじめるのだ。子供達はその間、いつもの騒がしさはどこえやら、じっと耳を澄まし青年の少し青白く見える整った顔を見つめながら、わくわくするような、どきどきするような話に胸を躍らせているのだ。かくいう私もじっと聞き耳を立てるのが毎日の楽しみとなっていた。
 私も昔々に少し読んだだけの松谷みよ子の『竜の子太郎』やミヒャエル・エンデの『モモ』に感動している子供達は、まるで毎週のTVアニメの番組を見入るかのように、しんと静まりかえっている。彼の朗読を聞くのは私にとって、またとない娯楽であった。
 そんなある日、いつものように本を開き、昨日の続きを読みはじめようとした彼に、
「ねえ、今度はお兄ちゃんが作ったお話を聞かせてよ」
と一人の子供がせがんだのだ。
 彼は一瞬困った顔をしながら、
「よし、それなら、最初に昨日の本の続きを読もう。そしてまだ時間があったら、お兄ちゃんが作ったお話をしよう。ただし、検診の時間までだよ」
と手に持っていた絵本を開き、子供達に絵を見せながら昨日の続きを話し聞かせはじめた。
 本を読みおわると、検診の時間までは、まだいくらか余裕があった。そして彼は子供達を前に静かに語りはじめたのだ、悲劇の始まりとも知らずに──。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (2)


「兄さん、あたしだって最初はくよくよしてましたよ。でもね、くよくよしたって始まらねえんですよ、前を見なきゃ、昨日何があったかなんて関係ないんですよ、明日何があるか、ただそれだけですよ。そうやって達観できるようになったのは、ほら、兄さんの見てるその窓、その窓から毎日小学生が通学してるのが見えるでしょう。その子供達の中にね、変な歩きたかをしてる男の子を見つけてからなんですよ。普通ならそろそろ下を通るころですがね……」
 そういわれてしばらく下のY字路を見ていた私は、ふとその子を見つけた。右足を大きく開きながら不自然に歩いている、右の膝を曲げずに体の外に半円を描くように歩いているその足は、黒いジャージに隠れてはいたが、あきらかに義足だった……。
 その子は四年生ぐらいだろうか、あまり大きくない体に、少しくたびれた黒いランドセルを背負っている。
「兄さん、あの子を見つけたようですね。あたしらいい大人が、歩けなくなっただとかいって、くよくよしてる時にあの子は嬉々として走り回ってるんですよ。それを見てあたしは思いましたね、そうかあたしなんかよりよっぽと辛いはずの子供達がきっとこの世界のどこかで“生きて”いるんだな、とね。それはそれで、もうどうしようもないほどの現実なんですよ。この世界のどこかで、この私達がベッドの上で悶々としているのと同じ世界のどこかで、ベッドに縛り付けられた子供達や、自分の存在を理解できないでいる子供達、食べる物も、そしてかまってくれる者さえもなく静かに息を引き取っていく子供達が、どうしようもない現実として、どこかで今を“生きて”いる。そう思った時、あたしも生きなきゃいけないなと、そう思うようになったんですよ」
 彼はそう言ってはにかんだように笑った。私をこの窓際のベッドに入るように取り計らったのはきっと彼なのだろう。
 数日後、彼は家族とともに車椅子に乗り退院していった。これから足を使わないでも運転できる車を買って、また運転をやるんだと言っていた。退院したからといって、これからの彼の人生が、少しでも良くなるわけではなかった。それでも彼は、とても明るかった。まるで私を励ますかのように。
 それ以来、私はつきものが落ちたように、憎悪の塊をどこかに置き忘れてしまった。それ以来の私の楽しみは、この病室の窓から、通学途中の子供達を見ることであった。
 私はくよくよするのはやめた、苦しいことだが、新しい人生について考えはじめた。この足で、おそらく松葉杖なしでは立つことも困難になるだろう、その私にどんな仕事が出来るだろう。マラソン・ランナーとしてはもはやどうにもならないことはわかっていた、大学に復学出来るだろうかとか、就職はどうしようかだとか、実家のミカン畑で働けるだろうか、などと漠然とではあったが、私にもどうやら生きる気力がわいてきたようであった。すべては日々力強く、そして嬉々として“生きて”いる、あの義足の男の子のおかげだと思った。自分の力で“歩く”ことの尊さ。私と車椅子との格闘が始まったのも、そんな時期であった。
 戦いを始めた私に第一におとずれた試練は、ベッドから車椅子へと移ることであった。まだ若いために、数ヶ月の入院生活での体力的な衰えはほとんどなく、ベッドの上に起き上がることに問題はなかった。だが、いざ車椅子に移ろうとすると、途端に腕がすくみ、恐怖心がわいてくるのだ。車椅子には、ベッドの上から後ろ向きに乗り込まなくてはならない。腕の力を利用し、ベッドの縁まで移動し、背後に車椅子があるのを確認し、思い切って車椅子の上へ落ちる……。この時の恐怖感をぬぐうのは並み大抵ではなかった。看護婦さんたちの助けを借り必死で挑戦し、第一の関門を突破すると、次には病棟の狭い廊下での死闘が始まった。
 狭い六人部屋の病室内では、車椅子の練習など出来るわけがない。私のベッドは、脇に車椅子が入るように若干移動してあるが、後は廊下へ続く一本道しかない。しかし廊下へ出ると、回診や検温、食事などの巡回があるため、思うように移動出来ない。しかたなく巡回のないわずかな時間を見はからい、廊下へ車椅子を乗り出していくと、車椅子をコントロールすることが思いのほかに難しいことに気付いた。車椅子の操作には独特の“コツ”が必要だった。方向転換するたびに、思いもよらない大回りをしてしまったり、そのまま壁に突き当たり身動き出来なくなることも度々あった。そのたびに、回りの患者たちから笑われ、あるいは声援を受け、私の車椅子操作の技術は徐々にではあるが向上してきてはいた。
 そんな車椅子との死闘から幾日か経過した頃、私には新しく、もうひとつの楽しみができた……。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (1) 第一節

   1

 風が冷たい——。
 星野病院は五階建の三つの棟からなり、三階の渡り廊下で、正三角形に結ばれている。それぞれの棟の間には狭い道路がY字形に走っており、その人工の谷間には春夏秋冬、四季折々の強い風が季節ごとに吹きおろす。春には春一番がさくらの花びらとともにコンクリートの谷間を吹き抜け、夏には雨粒とともに台風の風が、秋には紅葉とともに、冬には雪とともに……。
 冬の風は冷たい。肌を切るように固く痛い風。あまりの風にコートの襟を押さえ、体を斜めに傾けながら歩く人影は、妙に小さくはかなげに見える。時たま風にあおられて、小さな子供が前に進めず、じっと、そう、まるで石に変わってしまったように動かずに、一生懸命ふんばっていたりする。かと思うと、小さなジャンパーを思いっきり広げ大きく風を受け、凧のように、ふわりと一瞬体が浮くのを楽しむ小さな一団を目にしたりもする。中には数メートルも後ろに飛ばされる子供もいる。このY字路は小学校の通学路、いわゆるスクールゾーンであるため、平日の間は毎日決まった時間になると、黒や赤のランドセルを背負った子供達が賑やかに通り過ぎるのを見ることができる。こんなふうに毎日飽きもせずに、まるで日課のように、いや日課として、この病室の窓からY字路を見下ろすのは、そんな子供達を、そして、いそいそと急ぎ足で通り過ぎる大人達を見つめるのが、もう自分の脚力で歩くことのない私にとっては、妙に浮かれた、楽しげな気分にさせてくれる数少ない楽しみのひとつとなっていたからだろう。
 入院した当初──もう半年程前になる、交通事故で両足をだめにしたばかりのころの私は、看護婦さんたちや病院の先生方、家族や見舞いに来てくれた友人達に、寄るとさわるとあたり散らしていた。私はもう歩けないのだ、その事実はまだ若い私には絶えられないほどに重くのしかかってきていた。高校時代に長距離走者としての才能を見いだされ、大学で陸上部の期待を一身に背負い練習に明け暮れていた私にとって、相手の不注意のために両足の神経と骨をずたずたにされたことは、もはや自分の理解の範疇を越えていた感があった、この世のあまりの不公平さに周囲を呪っている毎日だった。
 窓際のベッドに入っていた私は、病室の窓から見える人々、とくに風と戯れる子供達はもはや憎悪の対象でしかありえなかった。私を窓際のベッドに入れた医師達にさえも憎悪をおぼえた。
 そんなとき、私の隣のベッドに入っていた壮年の患者にぼそりと言われたことが、私の生き方を決めたのかもしれない、
「兄さん、あんたここで終わるつもりかい。ここで人生を降りるつもりなのかい」
と。
 そう、私は自分に降りかかって来た、いな襲いかかって来た悲劇に叩き臥せられる寸前だったのだ。すべての責任を周りに転化し、憎悪の虜となっていた私は、人間らしい感情も、生きる意味も、自分がここに生きている事実すらも、すべて見失っていたのだ。それを思い出させてくれたのが、その彼の、短いが芯を突いた言葉だったのだと思う。
 以前はこの窓側のベッドに寝ていたという彼もまた、交通事故の犠牲者であった。タクシーの運転手として働いていた彼は、深夜の勤務に就き市内を流していた時、居眠り運転のトラックにぶつけられ下半身付随になっていた。もはやその体では運転手としての勤務は不可能だった、生活の術を奪われ、家族を養うことができなくなったというのに、彼の顔はいつも晴れ晴れと冴え渡り、その笑顔は屈託の無い子供のそれのようにさえ見えた。

しあわせな老人

しあわせな老人 (13) どのこと? [END]

どのこと?

 新しい年は明けた。
 新年だといっても、さわやかな目出度い話題ばかりではない。
 裏通りの奥の奥、かたむきかけた木造の安アパートの一室で、静かに冷たくなっている老人が発見されたのだ。発見者はアパートの管理人、年始の挨拶によったところ、ブランド物の高級紳士服を着、亡妻の遺影と高額紙幣の束を胸に抱きかかえたまま死んでいる老人を発見、駆けつけた警察が調べたところ、老人が抱えていた札束は、前日にある資産家の家から強奪された紙幣の一部と判明した。その資産家は、用心のために札のナンバーを控えていたのだ。
 しかし、老人の部屋からも、老人の立ち寄りそうな場所からも、残りの紙幣は発見されなかった。老人の人相風体も、昨夜強盗に入られた資産家がのべたものとは、まったくちがっていた。
 しかも老人の死亡時刻や死因は不明、胃の内容物から死亡時刻を特定しようとしたが、食事の時間が不明のため曖昧なままだった。老人が生きたまま無事に、亡妻の写真とともに年を越せたのかは誰も知らない。
 老人は穏やかに、いや、微笑を浮かべながら静かに、そして永遠に眠っている。そう、今も……。
 新年の空は、青く、そしてどこまでもどこまでも、遥かに高く澄んでいた。

しあわせな老人

しあわせな老人 (12)


 三人目の客はすぐに現れた、太った動作ののろまな男だ。
 目の油でテラテラと汚れた分厚い眼鏡ごしに見える重そうに垂れた眠そうな目は、実にいやらしい、見ているこっちまでが眠くなってしまう。
 あなたの性格はああだこうだ、あなたの今までの人生はあーたらこーたら、と例によって例のごとくに適当なことをほざいていると、男は眠そうな目を精一杯に見開いて勝手に感心していた。
「どうも来年は、食べものに不自由しそうです……」
男の弱点はこれだった。
 慌てたように公園へ、よたよたと皮下脂肪の塊を揺らしながら駆けてゆく後ろ姿が、実に痛々しかった。

 四人目の客は、どっしりと貫禄のある、大会社の社長風の紳士。着ている服などから見ても、かなりの金持ちらしい。
 この紳士、何か悩みでもあるのか、見料よりもかなり多い、高額紙幣を二枚も放り出した。
 占い師は張り切って得意の観察と推理で、もっともらしくお世辞をまぜて、自説を得々とのべ、来年の運勢は登り調子でよいでしょう、ただし今年から引きずった問題がこじれて足を引っ張るでしょう。と悩みがあるような態度からはったりをかましたところ、みごとに急所をついたらしい、
「先生、その問題を、なんとか回避する方法はないのでしょうか?」
と聞いてくる。しめたとばかり、例のまじないを教えてやると、ありがとうとばかりに、さらに高額紙幣をもう二枚置いていった。
 しかしどうしたのか、紳士は黒塗りの高級車に乗ると、さっさと公園とは反対方向の、西の住宅街へ車を向けていってしまった。

 さて、五人目の客は、いかにも怪しげな頬に傷をもつ男。辺りをきょろきょろ見回し、何かに脅えている様子。どこからどう見ても、そこいらのやくざ者。さらにこの男も、黒いごつごつしたかばんをごそごそやると、高額紙幣を二枚投げ出した。占い師は、この男、何かやらかして逃げているらしい、と見当をつけた。
 しかし高額紙幣を二枚ももらておきながら、さきほどの紳士とは打って変わり、あなたを何か黒い影が追いかけている、だとか、平和に来年を迎えられるかどうかわからない、などといって散々脅かし、終いには狭い部屋の中で狂い死にするかもしれない、などどいってやると、男はわけのわからない言葉をわめき散らしながら、占い師の襟元をつかんでゆさぶった。
「ちょ、ちょっと。し、しかし助かる方法はある!」
と例のまじないをおしえると、男は何に感激したのか涙を流さんばかりに高額紙幣をもう二枚置いて、公園へ向かってどたどたと走りさっていった。

 しばらく客がとだえると占い師は、さて、とばかりに店じまいを始めた、どうやら家で一杯やりながら年越しのTV番組でも見るらしい。
 すでに陽は暮れていた。

しあわせな老人

しあわせな老人 (11)


 大通りのいつものところに場所をとっていると、さっそく客がやってきた。 始めの客は、はっとするほど笑顔の美しい女性、いや少女であった。
 占い師は、この少女をよく知っていた。裏通りに向かう路地のわきにある喫茶店のウェイトレスだ。あの喫茶店は正月も一日休むだけで、あとは平常通りの営業というから、ごくろうなことだ。
 少女はまだあどけなさの残る涼しい目許をほころばせ、可愛らしく珠を転がすような、外見のイメージにぴったりとあった声でいった。
「すみません、私の来年の運勢を見てほしいんですけど」
 占い師は、もっともらしくガラス制の水晶玉もどきをに手をかざすと、おなじみのはったりを──かなり好意的に──かました。それからかなりひどい占いをやったあと、
「あなたの悪い運勢を立て直すには、老人に親切にすることです。そうですね、あっ、見えました、ちょうどこの通りの裏にある公園です、その付近に一人の老人がいます、その人があなたの来年の運勢の鍵を握っています。そのひとに何かひとつ親切をしなさい、そうすればあなたの来年の運勢も上昇カーブをえがくでしょう」
 始め心配げな顔をして聞いていた少女も、占い師のいんちきなまじないを聞くと、ほっと安心した表情にもどった。そして小さな声で礼をのべると、見料をわたしてたちあがった。
「あっ」
 少女は時計を見てそうさけぶと、ばたばたと急ぎ足にかけていった。占い師が何気なく時計をのぞくと、長針は十一と十二の間で、限りなく十二よりを差していた。五十九分だ。きっとアルバイトにぎりぎりなんだなと、ひとりうなずく占い師であった。

 その日ふたりめの客は、きりりとしたまだ若い青年であった。
 彼は絶えずにこにと笑みを浮かべていたが、占い師にはその笑みが、ただの中身の無い表面だけのものだということが、長年の観察経験からわかっていた。
(いやなやつだ)
 それが占い師の、彼にたいする第一印象であった。
「すみません、私の来年の運勢を見てもらえませんか」
(いやな声だ)
 それが占い師の、彼にたいする第二印象であった。
 占い師にはよくわかっていた、この男は女のためだけに生きているのだと、女性に魅力的に見えるようにと、ただそれだけを考えていたために、見事に自分の心を隠すための、感じのいいかぶり物のような外観を手に入れたのだ。
「うむ、あなたは来年、極端に女性との縁が薄くなっています……」
そういったときの彼の慌てようといったら、大通りの向こうからでもよくわかるほどであったろう。
 占い師はいい気味だとばかりに、更にとんでもない占いを──疑われない程度に──散々かましながら、十分に彼の反応を楽しんでいた。
 そろそろそんな遊びに飽きたころ、おもむろに例のまじないを教えてやると、彼は嬉々として公園へ走り去っていった。その喜びようといったら、大通りの向こうからでも十分に楽しめるものであった。占い師は自分の目の確かさに、ニタニタといやらしい笑いを浮かべていた。

しあわせな老人

しあわせな老人 (10) あのこと

あのこと

 年末は稼ぎどきだ。
 その占い師は、そう考えていた。十二月三十一日のことだ。
 占い師は公園のわきの路地を、大通りに向かい歩いていた。
 この占い師は、この街ではよく当たると評判の“いんちき”占い師であった。
 彼の占法はこうだ、まず客をよく観察する。客の仕草、態度、くせ、表情、服装、髪型、肌のつや、指の形、等々。
 きょろきょろと辺りを伺うネズミのような仕草、いそいそと落ち着かない態度、たえず手を握ったり広げたりしているくせ、やせこけて貧しそうな表情、まったくなりふりかまわない服装、一本のみだれもなく撫でつけられた髪型、ぴかぴかと照り輝いている肌、奇妙にひねくれた指先。
 まったく落ち着かない人間、貫禄たっぷりの尊大な人間、どうしようもなくおっちょこちょいでどじな人間、感情を表にあらわさないクールな人間、どんな時にも笑っている人間、上から下までコーディネイトしたスタイルにまったくはまっていない人間、鋭い目をした大人物を思わせる人間、ただのチンピラな人間。
 そこからは、ありとあらゆる情報が得られる。それらの情報をうまく組み合わせ、整理し、推理して得たものを、相手に投げてやると、なぜ自分のことをそんなに詳しく知っているのか? といった驚いた顔を、十人中八、九人の人間が必ずする。これはシャーロック・ホームズという名探偵に教わったことである。
 次に、何か悪いことがおこると散々脅かし、そこですかさず、これこれこういうことをすると、災いを消すか、小さくすることができると言ってやる。
 災いを消すまじないは、占い師のその日のインスピレーションによって決まる。例えば、その日ネコを見掛けたならば、その日の客にはこう言ってやる、ネコを見掛けたらすぐに逃げなさい、これを一週間なら一週間続けなさいといったぐあい。次の日イヌを見掛けたならばこう言う、イヌを見掛けたら追いかけていってイヌの背をなでなさい、といったぐあい。
 人間なんて単純なもので、それだけで偉大な占い師か何かのように、つごうよく勘違いしてくれる。
 この占い師はそうやって、名声を広めることに成功したのだ。
 さて、今日のまじないは何にしてやるかな、などと考えているとき、ふと公園のベンチに腰掛けている老人が目に入った。毎日毎日同じ場所に座っている薄汚れた老人だ。そのとき占い師の頭に、ふいに
(よし、この老人をしあわせにしてやろう)
という考えが浮かんだ。

しあわせな老人

しあわせな老人 (9)


 紳士の話は実に教養ゆたかなものであった。めずらしい海外の話や、この食堂に掲げられた数々の絵画やその他の芸術の話、さらには人生についての話や、老人のまったくわからない政治の話などもあった。
 紳士は話のあいだから、老人がクラッシック音楽が好きだと知ると、さっそくいままで静かにかかっていた音楽をやめさせ、いろいろとクラッシックのレコードをかけて聞かせてくれた。老人が若いころ聞いただけの懐かしい曲や、今までまったく聞いたことのなかった曲──それは涙がでるほど美しい曲であった──がながれた。
「おじいさんはどんな曲がお好きですか?」
「はぁ、そうですね、その静かなピアノの曲なんかが……。そのなんていうのかは忘れましたが……」
 老人には思い出の曲があった。まだほんとに若いころ、結婚する前に亡妻にプレゼントされた一枚のレコードがあった。その中の一曲が実に静かで美しいピアノの曲であったのだ。今ではそのレコードもどこへいったのか。思えば随分と昔のことである。
「ピアノ曲ですか。ピアノといえばモーツァルトやリスト、あとやはりショパンですか」
 老人は、はっとした。
「あぁ、それです、そのショパンとかいう人の……」
 そう聞くと紳士は、さっそく使用人に合図をして、屋敷にあるショパンのレコードを全部もってこさせたようであった。次々にかかるショパンの曲に老人はうっとりと耳を傾けていた。その中には老人の思い出の曲もあった、老人は涙を流しながらその曲に聞き入っていた。老人の思い出の曲は「夜想曲」といった。
 食事がおわり、ここ数年味わったことのない楽しいひとときを過ごした老人は、別れを惜しむ紳士に礼をいい席を立った。
 控えの間で使用人が抱えてきた老人の服を見るなり紳士は、
「おじいさん、これでは寒いでしょう」
といい、新しい普段着を用意してくれた。老人の目には、どうしてもよそゆきの服にしか見えなかったのだが。
 老人が服を着替えると、使用人から老人の持ち物が返された、その中にはもちろん、あの変な男からもらった札束も入っていた。紳士は老人のお金にはいちべつもくれなかった。
 玄関ホールで床に頭がつくのではないかと思えるほど紳士に礼をのべた老人は、来るときとは反対に、ゆっくりと車の後部座席にのりこんだ。今度は黒眼鏡のふたり組は乗り込まず、助手席の男と運転手との三人だけの道のりであった。
 老人を送る車が走り去ったあと、紳士はぼそりとつぶやいた。
「これでよいのかな?」

 助手席の男が自宅まで送ってくれると言っていたのを、無理にことわって、例の公園で降ろしてもらった。
 老人が公園に降り立ったとき、辺りはすでに夜中であった。空は遥かかなたまで透き通り、満天にぎっしりと敷きつめられた星々が、いつ降りそそぐのかと思われるほどに白く輝いていた。
 老人は思う。
(あぁ、今日はなんと素晴らしい一日だったことか、きっとあした、いや来年は素晴らしい年になるにちがいない、さっきまで死にたいなんて考えていた自分が、どんなに愚かだったことか)
 老人は変な男にもらった札束をじっと胸に抱えながら、静かに家路についた。あと数時間で新しい年だ。

しあわせな老人

しあわせな老人 (8)


 そこはまた、とてつもなく巨大な部屋であった。あの公園が五つか六つも入りそうな部屋で、天井には玄関ホールのものにもまけないほどのシャンデリアが下がっている。室内は所々絵画が掛けられ、床にはちりひとつ落ちていない。部屋の中央には、巨大な部屋とはあまりにも不釣り合いな六人掛けほどの小さなテーブルと、向かい合ったふたつの椅子があるきり。いや、ひとつの椅子には年の頃四、五十のこちらは本物の紳士が腰掛けていた。
 奇麗に撫でつけられた半白の髪、広い額と、知的な瞳、すらりとした鼻、薄く微笑みをたたえた唇、一部の隙もなく着こなされた燕尾服、紳士はこの部屋と見事に調和した芸術そのものであった。
「やぁ、おじいさん、ようこそいらしてくださった。どうぞどうぞ、そちらの椅子へ」
 紳士の声は、低く太く甘く、しっかりしたアクセントが耳に心地好い。
 老人はまたもや茫然としていたため、紳士のすすめる椅子に無理矢理に座らされてしまった。
 老人が椅子に座るが早いか、どこからあらわれたのか数人の給仕がテーブルのまわりを忙しげに立ち働いている。
「では、おじいさん、さっそく食事にしましょう」
 紳士はそういうと、甘い香りのする血のように赤い飲み物の入った、透き通ったグラスを手にとった。
「あ、あの、これはいったい……」
 紳士は、老人がそう声をかけるのを、
「いや、話はあと、あと」
と、意にもかいさずに、さっさと乾杯をすませた。
「いや、しつれいした。おじいさんもいきなりのことで、さぞ驚かれたでしょうが、まぁ、金持ちの気まぐれだとでも思って付き合ってください。帰りもきちんと車で送らせますので」
「はぁ……」
 老人はとにかく、ここで逆らうのはあまり賢い方法ではあるまいと考え、なんとかお金持ちのお遊びだと考えることにした。
「しかし……」
と、老人は目の前におかれた、いかにも手の込んでいそうな何がなんだか、わけのわからない前菜を見つめながらいった。
「その、このような高価な食事は生まれて初めてでして……、あの、その、なんですか、どうも、胃のやつがびっくりして、あんまりびっくりしすぎるもんで、その、ぽっくりといっちまいそうな……」
「はははは、おじいさん、あなたはおもしろいかただ、大丈夫ですよ、これはそんなに特別な料理でもありませんから。さぁ、いただきましょう」
 あまりにとんでもないことがつづいたため、次々に運ばれてくる高価な料理の味は、老人にはさっぱりわからなかった。それに食事のマナーなどもさっぱりわからず四苦八苦していたのだが、紳士はそんなことはまったく気にしているようではなかった。