ホシニネガイヲ (9)


 事件の夜から三日がたった、相変わらずJ君は一言も言葉を発しない。見舞いに来たJ君の美人の姉は、病院内で初めて事件のことを知り、弟が疑われていることがよほど心外らしく、看護婦や医師に寄るとさわると大声で食ってかかっていた。私は次に何が起きるのかはよくわかってた。何しろここは、渡り廊下を挟んだだけで、事件のあった五郎君達の病室と、ほとんど目と鼻の先なのだ。
 私はいくら美人でもこれでは、とうんざりして内科病棟の向かいの部屋を見ていた。この姉の訴えが聞こえたのか、その渡り廊下を五郎君の母親が、全力疾走でもするかのように走ってくるのが私の目に入った。うらやましいほどの脚力だった。それからがこの病室は修羅場だった、私も病院で、しかも赤の他人が目の前で取っ組み合いの喧嘩を始めるとは思ってもみなかった。
 始め、美女が興奮するのをおもしろそうに眺めていた同室の、いや近くの病室からも集まってきていた野次馬達は、喧嘩が始まると、すぐに君子危うきに近寄らずといった顔つきで、そそくさといずこへともなく去っていった。同室の患者達も、病室の出入口付近で取っ組み合った女二人と、それを止めようとする医師と、その周りを心配げに取り囲む看護婦達の間を巧みに抜けて行ってしまった。後に残ったのは、病室で暴れ回る狂暴な一団と、J君と私だけであった。
 するとJ君もそっとベッドから降り、まるでトイレにでも行くかのようにさり気なく、狂暴な一団の脇をすり抜け、病室を出ていった。例の一団とともに後に残った私には、彼が絶えられなくなった気持ちが良くわかるように思えた。しかし、私は出て行くわけにはいかなかった、あの興奮した一団の横を、車椅子で通り抜ける自信がなかったのだ。
 まったく誰も気付かなかった、J君が消えてしばらくした後、外を見ていた私の目の前をJ君が落ちていったのに……。
 J君が飛び降りたあと、私はベッドの上からありったけの大声で騒がしい一団を静まらせ、J君の自殺を告げると、その真偽の確認をする前に彼の姉は気を失い、医師や看護婦達は脱兎の如く窓際まで跳んで来、窓を開けるとほんの一瞬下を見ただけで、窓を締めてしまった。看護婦達の顔は真っ青だった。五郎君の母親は初めポカンとしていたが、ことの意味を理解すると、ニタリと嫌らしい笑いを浮かべ、気を失っているJ君の姉を見下ろしていた。
 Y字路の一辺を挟んだ向こう側、例の子供達の病室から、五郎君が一人でJ君の亡骸が倒れているらしい下方を、じっとまじろぎもせずに見つめていたのが印象的だった。
 J君の自殺に関して、誰もそのはっきりとした理由を知ることは出来なかったようだ。