幻想 (1)

 わたしはそこへ、どうやってやってきたのだろうか。
 それはまさしく幻想的な世界であった。わたしはどうやら、夢の世界へまよいこんでしまったようであった。それは言葉どおりの意味ではなく、そう思わせるだけの力を、この街はもっていたのだ。
 ここへは地下鉄でやってきた、それだけははっきりとわかっていた。それはただ、漠然としたイメージだけの記憶ではあるが、またはっきりとした記憶でもあるかのように思えた。地下鉄でやってきたのは覚えているが、どこからどう乗って、何という駅で降りたのか、そこのところへくると、まったく記憶が曖昧になってくるのだ。
 “都会”であはずだった。地下鉄駅で人ごみをかきわけた覚えもある。高いビルを見上げ、濃い排気ガスにむせ、見も知らぬ人々であふれかえる顔、顔、顔を、不思議な気持ちでながめていた記憶が、だんだんと自分の、もっとも深い部分からわきあがってくるのを感じていた。
 だがしかし“ここ”は、とても“都会”とは思えなかった。あの駅で降りたのは、あのひとごみをかきわけたのは、あの高いたかいビル群を見あげたのは、本当に今日のこと、ついさっきのことであったのだろうか。
 延々と続くような、ほこりが舞う長いながい大通り。道が遥かはるか続くようにみえるのは、舞うほこりが視界をさえぎってしまうからであろうか。それとも本当に延々と続いていのるであろうか……。とにかく、ほこりで白々と曇った空が広がり、さっきのあの高いビル群の影すらも見えない。
 道の両端は、奇妙な外観をもっていた。建物自体は古く、黒く塗られた壁が家々の間の小さなすきまから見てとれた。通りに面した部分、家々の通りに接した面──白いしっくいが塗られた壁、白くほこりのつもった“桟”の上に乗った奇妙なまでピカピカにみがきあげられたショウウィンドウ、アーチのようにまるいひさしの下にある茶色くかすむ樫の木でできた頑丈なとびら、木枠にはまったほこりでかすんだ窓ガラス、窓も何もなくただこわれかけた白いとびらだけの壁──、色もおちかけた下のとがった木製の看板が、カタカタとかなしげな音をたてていた。人通りはたえて少なく、ひとりふたりかすかにぽつ
りぽつりと……、それも遥かかなたに。
 自分のすぐ左手にショウウィンドウが、まるで何か襲いかかってくるかのような避けがたい威圧感をもって、そそりたっていた。わたしは通りの左端に、ぽつんとたっているのだ。いったいどこからこの通りへ入ってきたのか、うしろを振り返っても遥かはるかに、遠く通りが続くだけで、どこにもそれらしき脇道は見あたらない。
(へんだな、脇道のない通りなんて)
 ふしぎな感覚がわたしを襲った。やはり“ここ”は夢幻の世界なのだろうか、それとも……?
 サラサラとかすかな川の流れる音がきこえてきた。
(川? どこに? あの“都会”の記憶はやはりまちがいか?)
 ふと、わたしは左手にそびえるピカピカのショウウィンドウを、なにげなくかえりみた。とたん、わたしの体を恐ろしい感覚がとらえた。それは“恐怖”“麻痺”“戦慄”“驚愕”それらどれをとっても表現でき、どれをとっても表現すること困難な感覚であった。
 “桟”には分厚くほこりがつもっているのに比べ、異様なまでにみがきあげられたショウウィンドウは、それだけでもどこか不気味で、この世のものではないといった雰囲気が、ありありと感じとれた。