わたしが恐ろしい感覚にとらわれたのは、それだけの理由からではない。そのみがかれたショウウィンドウに写っているすがた、そのすがたかたちに覚えがないのだ。わたしはのろのろと右手をあげた。ウィンドウの中の人物もゆっくりと、むかって右側の手をあげた。
わたしの中に、またあの感覚がわきおこる。そのとき、わたしの顔はひきつっていたのかもしれない、かのウィンドウ氏の表情もひきつっていたから。
(“これ”がわたしの顔なのか?)
奇妙な現実。自分の顔をみまちがえる人間がどこにいるのだ。ここにいるにはいるが……。
(わたしは何という名なのだ?)
わたしは自身の名前すらわからない、これこそ自分の存在をすら否定する恐怖以外のなにものでもない。しかし今のわたしには、それがさして重要なこととは考えられなかった。何かがずれている、何かが切れている。
ショウウィンドウから、店内をのぞいてみたが、何の店かはわからない。中は薄暗く、ショウウィンドウの中には、ほこりをかぶったマネキン人形が、恐ろしく古臭い衣装を着せられてたっている。おそらく空家になっているのではなかろうか。それにしてもピカピカのショウウィンドウが異様だ。
わたしはゆっくりと顔をあげ、なんとはなしにマネキン人形の顔をみた。またあの感覚が、わたしをおそった。どういうことなのだ、なぜこのマネキン人形は、わたしと同じ顔をしているのだ?
わたしはもう一度ショウウィンドウに、自分のすがたを写してみた。
同じだ! このマネキン人形と、ショウウィンドウに写ったわたしのすがたはまったく同じだった。いや、ちがう。ショウウィンドウに写ったわたしと、マネキン人形とは、ひとつだけ決定的にちがったところがあった。左右が逆なのだ、まったく正反対なのだ。つまりは、このマネキン人形は、わたしと同じすがたを、顔をしているのだ。
わたしの頭の中は、ハンマーか何かでなぐられたように、ぐらぐらと大きく揺れ、何かが大きく反響していた。
わたしはのろのろと歩きだした。あてはない、しかし歩きだした。ここに、このショウウィンドウの前にいるのが恐かった。
(ここはいったい何なんだ!)
となりの家は、窓もなく、合板でできているような薄い、白く塗られたとびらがあるだけのものであった。そのとびらの手前に、黄色とも茶色ともつかぬ色に変色した、古いポスターがはってある。なんということだ、このポスターに描かれているのは、わたし自身ではないか!
わたしをつかまえた、あの恐怖とも何ともつかない感覚は、わたしの頭の中をぐらぐらと揺らし続ける。まっすぐたっていられないような脱力感が、わたしを襲う。
ふと、先程まで遥かかなたに見えた人影がひとつ、わたしのすぐ目の前にせまっていた。奇妙な服を着ているが、スカートをはいていることから女性だとわかる。ほんとうに奇妙な服である、ブラウスは体にぴったりとあい、そでもふくらみにとぼしく、スカートもタイトというほどでもないが、すそがあまり広がってはいない。ふと、その人物の顔をみた瞬間、わたしはたまらずに、そのばにしゃがみこんでしまった。わたしと同じ顔ではないか!
しゃがみこんだままでも、わたしの目は、その自分と同じ顔をした人物からそらすことができずに、じっとみつめ続けていた。すっと、その人物の目が、ものめずらしそうにわたしの顔をとらえる。その人物の目は、あたかも、わたしの全てをなにもかも、そっくりつつみこみ、飲み込んでしまうように感じられた。
わたしの目の焦点は、自分ではどうにもならくなり、だんだんと通りの反対側にあってゆく。そこでは、いままさに中にいた誰かが、とびらを押し開け通りに出てくるところであった。とびらの奥から現れた人物は男であった、いや、本当に男なのだろうか? わたしと同じ顔をしているが……。