ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (11) 第七節 [END]

   7

 相変わらずY字路を通る小学生達は元気いっぱいで、学年最初の学期をはりきって通学している。その中にあの五郎君の姿が見える。すっかりおとなしくなり、はしゃぎ回ることはなくなったようだ。彼が入院する前、私はここから彼を見ていた、今とはまるで違って、周りの同級生にいたずらしながらはしゃぎ回る彼を。
 その少し後ろに見えるあの子、右足に義足をはめた男の子は、いつものように嬉々として元気いっぱいに歩いている。私は思わずニヤリとしてしまう。
 そうあの日、ぼんやりとY字路を見下ろしていた私の目の前で、信じられないことが起きたのだ。あの義足の男の子が、きっと同級生なのだろう、長い髪のかわいい女の子といっしょに帰宅している途中だった。私が暖房でむっとした室内の空気を入れ換えようと、窓の端をほんの少しだけ開けた時だった、彼が不自由な右の義足に体重をかけたその瞬間、後ろから駆けて来た別の男の子が、その彼の全体重を支えている義足を思いっきり蹴飛ばしたのだ、彼は後ろざまに倒れ、いっしょにいた女の子が駆け寄る。その瞬間、私の中で時間が止まった。私は我が目を疑った、子供の、これが子供のやることなのかと……。
 そして聞こえて来たのだ、あの声が。そのころまだ名前さえ知らなかったその子供、あの子の義足を蹴飛ばした五郎君が、とても子供の声とは思えぬほどに憎悪を込めたしわがれた叫び声で、
「おまえ、片足のくせになまいきだぞ!」
と怒鳴りちらすのを……。
 その五郎君が入院してきたしばらく後、私は一晩自宅へ帰る許可を得た。そのころ五郎君は何も知らずに病院で出来た新しい友達とともに五人でJ君のもとを訪れるようになっていた。私はそんな五郎君を後目に公然と自宅へ帰ったのだ。その夜家族の目を盗み、慣れない車椅子を転がしながら自宅の納屋へとたどり着くと、納屋の奥にしまい込まれていた埃だらけのヒ素の瓶を探し出した。以前、ミカンの甘味を引き出すために使われていたものだ。今では実験的に無農薬化を推し進めている父の意向で、数年前から使われずに、納屋の奥にしまってあったのだ。私はホコリだらけの薬瓶から、ほんの少量、こっそりと小瓶に移して病院に持ち帰り、J君のもとへ集う子供達の一人、五郎君をこっそりと殺すチャンスを待っていたのだ。計画を練っているのは実に楽しかった。
 そこにあのケーキだ、J君がケーキを買ってきた時、私はその目的をしっかりと理解していた。彼が自分の創作童話の第二話を語り終えたすぐ後だったのだから。
 病室内のほかの三人は、しょっちゅうベッドから離れていた、J君も病院内の探索にいそがしかった。私はそれこそ決死の覚悟で、腕だけを使いベッドから降り、あのケーキにヒ素を振り掛けるべく、汚れたリノリウムの床を這っていった、おかげで腕は痛くなるわ足の状態は悪くなるわで、足の治癒が若干遅れてしまった。
 しかし何とかやりとげることができた、自分のベッドに戻った時にはもう、生きて行くのは無理なのではないかと思うほど疲れ果てていた。
 だがなんということか、五郎君は生き残ってしまったではないか。私が薬学に暗かったためか、それともあの子の運がよかったのか。とにかく、もはや五郎君は私の手の届かないところにいったのだ、とはいえ、あの分ならもうあの義足の男の子に手を出すこともないだろう……。
 J君にはすまないことをしてしまったと思う、本当に。この事件での一番の被害者は彼だったのかも知れない。
 彼の姉は今、私の実家で私とともに、ミカンの栽培の研究をしている──。

(了)

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (10) 第六節

   6

 三つの病棟に挟まれたY字路には、いつの間にか小さな粉雪が舞うようになっていた。今年初めての雪、そして今冬最後の雪……。強い冬の風に吹かれ舞う粉雪は、ここから見る限りとてもあの冷たさを想像することはできず、とても暖かそうに見える。
 J君は死に、同室のほかの三人が退院し、私以外のベッドはすっかり新しい主の下で、乾いたきしみを発している。五人の子供達は雪ちゃんとひろし君を残して退院していった。五郎君はあの事件以来すっかりおとなしくなってい。私は車椅子を卒業し、何とか松葉杖をつかっての歩行練習に取り組みだし、歩行にもだいぶ慣れて来ていた。
 病院脇の桜が咲き誇る季節が来、私の退院も近づいてきていた。春の陽気が誰もを浮かれた気分にしていた、J君の事件の後遺症とでもいうべき暗く沈んだ空気はもうない、一人を覗いては……。J君の姉は時々、人目を気にしながらも、思い出したようにこの病室を訪れ、私とJ君の思い出話をしていく。J君は幼い頃に両親を事故で亡くし、頼るべき親戚も無く、施設で姉と二人きりで生活していた。もちろん施設内ではたとえ姉弟であっても一緒に暮らせはしなかったが、J君の姉が働きだしてからは、施設を出て小さなアパートでひっそりと、姉弟仲良く暮らしていたらしい。お互いたったひとりの肉親だったのだ。J君の姉は、春の陽気にほだされる事も無く、落ち込んでいた。たった一人きりの弟を失ったのだ、それもあんな状況で……。立ち直れないのはわかっていた、それでも私は彼女を励ますほかなかった、他に相談出来る人もいないというのに。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (9)


 事件の夜から三日がたった、相変わらずJ君は一言も言葉を発しない。見舞いに来たJ君の美人の姉は、病院内で初めて事件のことを知り、弟が疑われていることがよほど心外らしく、看護婦や医師に寄るとさわると大声で食ってかかっていた。私は次に何が起きるのかはよくわかってた。何しろここは、渡り廊下を挟んだだけで、事件のあった五郎君達の病室と、ほとんど目と鼻の先なのだ。
 私はいくら美人でもこれでは、とうんざりして内科病棟の向かいの部屋を見ていた。この姉の訴えが聞こえたのか、その渡り廊下を五郎君の母親が、全力疾走でもするかのように走ってくるのが私の目に入った。うらやましいほどの脚力だった。それからがこの病室は修羅場だった、私も病院で、しかも赤の他人が目の前で取っ組み合いの喧嘩を始めるとは思ってもみなかった。
 始め、美女が興奮するのをおもしろそうに眺めていた同室の、いや近くの病室からも集まってきていた野次馬達は、喧嘩が始まると、すぐに君子危うきに近寄らずといった顔つきで、そそくさといずこへともなく去っていった。同室の患者達も、病室の出入口付近で取っ組み合った女二人と、それを止めようとする医師と、その周りを心配げに取り囲む看護婦達の間を巧みに抜けて行ってしまった。後に残ったのは、病室で暴れ回る狂暴な一団と、J君と私だけであった。
 するとJ君もそっとベッドから降り、まるでトイレにでも行くかのようにさり気なく、狂暴な一団の脇をすり抜け、病室を出ていった。例の一団とともに後に残った私には、彼が絶えられなくなった気持ちが良くわかるように思えた。しかし、私は出て行くわけにはいかなかった、あの興奮した一団の横を、車椅子で通り抜ける自信がなかったのだ。
 まったく誰も気付かなかった、J君が消えてしばらくした後、外を見ていた私の目の前をJ君が落ちていったのに……。
 J君が飛び降りたあと、私はベッドの上からありったけの大声で騒がしい一団を静まらせ、J君の自殺を告げると、その真偽の確認をする前に彼の姉は気を失い、医師や看護婦達は脱兎の如く窓際まで跳んで来、窓を開けるとほんの一瞬下を見ただけで、窓を締めてしまった。看護婦達の顔は真っ青だった。五郎君の母親は初めポカンとしていたが、ことの意味を理解すると、ニタリと嫌らしい笑いを浮かべ、気を失っているJ君の姉を見下ろしていた。
 Y字路の一辺を挟んだ向こう側、例の子供達の病室から、五郎君が一人でJ君の亡骸が倒れているらしい下方を、じっとまじろぎもせずに見つめていたのが印象的だった。
 J君の自殺に関して、誰もそのはっきりとした理由を知ることは出来なかったようだ。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (8) 第五節

   5

 刑事達が帰った後、J君はじっとベッドに入ったままうつぶせになっていた。原稿を書こうとワープロに手を出すでもなく、かといって童話を手に取るでもなく、じっと動かずにいた。まるで動いてしまうのが、即自分の破滅につながるとでもいうかのように。
 無理もないと私は思った、彼の、五郎君への殺人未遂容疑は決定的だった。昨日この病室でJ君の話を聞いていたのは、五人の子供達と私だけであった。J君の並びのベッドに寝ている二人はもうすぐ退院だとかで、リハビリのために病室を出ていたし、私のお隣さんは最近入院したといっても、のそのそと病院中を探検するだけの元気は残っていた。ひとつ挟んだ廊下側のベッドは現在は空きになっている。
 夕べ五郎君のベッドにケーキが置かれるのを知っていたのは私とJ君の二人だけ、五人の子供達はケーキが出てくるかもしれない、と漠然と思っていただけだろう。とすればケーキにヒ素を盛ったのは私かJ君かどちらかということになる。刑事達の考えでは、私は車椅子がなければベッドから出られないのだから、車椅子が入れないJ君のベッドサイドにある棚の中のケーキに、手を触れる事はできない。答えは簡単、2マイナス1イコール1、五郎君の毒殺未遂犯人はJ君というとこになる。まさか五郎君のベッドの上に置かれたケーキに、こっそりと毒を盛る人間がいるとは考えられない、同じ病室に五人の大人が付き添いとして泊っているのだ。
 それからJ君は、青白い顔をしたまま、まったく口をきかなくなってしまった。無理もない、それ以来J君を見る周りの目がまったく変わってしまったのだから。それまでは子供好きのやさしい美少年として見られていた彼は、いまや何を考えているのかわからない殺人鬼だと思われているのだから。同室の人間からは、絶えず無視され、検診にくる医師や看護婦達からは常に白い目で見られているのだ。
 子供達はパッタリとこの病室へ足を踏みいれなくなった、もちろん親のいいつけを守っているからだろうが、やはり半分はここが恐くなったからだろう。 二人連れの刑事は次の日もやってきたが、あまり調べは進んでいないようであった。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (7)


「あなたは?」
そう聞く九条刑事に、私はMという自分の名前を告げ、下半身付随で入院していること、子供達が童話を聞きに来ているときには、車椅子の練習をせずに、ずっとベッドの上で一緒に話を聞いている事を話した。そして、昨日のJ君の創作童話が即興であった事を証言した。そしてその後、J君が病室を抜け出したあと、ケーキの箱を手に帰ってきた事も……。
 するとそれまで黙っていた小島という太っちょ刑事が口を挟んだ。
「するとつまり、五郎君が食べたケーキはJさん、あなたが買って来たものだということですか?」
 ギロリとにらんだその目は、眠そうに半分トロンと下がっていたため、いくぶん迫力に欠けていた。しかし、それでもJ君にはいくぶんかは応えたらしく、彼の顔はいよいよ青く、というより、ほとんど紙の様に白くなってしまっていた。
「確かに、確かにあのケーキは僕が買って来ました、でも僕が五郎君にヒ素を盛ったなんてとんでもない。あのケーキは子供達に話をしたあと、こっそり病院からぬけ出して、そこの、その大通りを渡ったケーキ屋で買って来たんです。嘘じゃないです」
 J君は必死になっていた、何といっても殺人未遂、それも子供にたいする殺人未遂の容疑をかけられているのだ。必死になったおかげで、いくぶん顔に赤みがさしてきたのはよかった。
「それから、それからまっすぐ病室へ戻ってそこの」
とベッドサイドの棚を指し示し、
「そこの棚の中へ閉まっておいたんです。そうですよねMさん、見てたでしょう」
 J君の必死の訴えに私はうなずいた、そしてケーキの箱が病院の近所のH堂の箱であった事を告げた。
 九条刑事は、ベッドサイドにある、小ぶりの冷蔵庫のような棚の扉を開いた。インスタントコーヒーやクリーム、お茶やきゅうす、マグカップに湯飲みと、ありふれたものが入っている。
「Mさん」
と小島刑事。
「Mさんは誰かがその棚を開けて、何か怪しいそぶりをしているのを見かけられませんでしたか」
 私は、車椅子の練習をしているとき以外はずっとベッドの上にいる。その間以外の事は証言出来ないが、夕べJ君のベッドサイドで、というより、この病室内で怪しい人間は見ていない。
 刑事達は顔を見合わせた。
「Jさん、あなたがケーキの箱を持って、その渡り廊下を渡って、子供達の病室へ行って、それからどうなりました」
「は、はい。ええ、子供達の病室へ行ってそっとドアを開けると、五郎君とゆうき君の二人が起きていました。二人は窓際でずっと星空を眺めていたんです。僕は付き添いの方達を起こさないように、そっとその箱を五郎君のベッドに置いて、そのあとすぐにここへ帰って来たんです」

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (6) 第四節

   4

 次の日はとんでもないことになった。深夜、ナースコールに呼ばれた当直の看護婦M子さんが、子供達の病室へかけつけると、ベッドの上で五郎君が嘔吐しながら転げ回っていたというのだ。検査の結果わかったのは、五郎君の嘔吐の原因は、いつのまにか食べたショートケーキとともに、ヒ素を食していたということだった。にわかに病院中が大騒ぎになった。次の朝、星野病院には数名の警察官が登場し、慌ただしくも殺気だった雰囲気に包まれていた。
 私のベッドの向かいのJ君は、ヒ素入りケーキの話を聞くとサァッという音が聞こえるかと思うほど一瞬に青ざめてしまったのだ。無理もない、昨日あんな話をしたばかりなのだ。どこでどう聞いたのか、その二人の刑事、眼鏡をかけた出っ歯の刑事とまん丸と太った刑事がその話を聞きにきた。
 出ッ歯の刑事は九条と名乗った、太っちょの方は小島といった。
 数日前に個室から私の隣のベッドへ移ってきた男が、ロビーやナースステーションで聞きこんで来た話によると、昨日のJ君の創作童話の話は、もうすでに病院中に広がっているらしい。彼の創作した通りの奇跡が続けて起きたことに関しては、にわか名探偵達が、あらゆる推理憶測を飛ばしているということであった。
 J君は青白かった顔を、よりいっそう蒼白に染めて、冷や汗を流しながら刑事の質問に答えている。
「あれは、その、雪ちゃんのお父さんのことですが、その日にロビーで、雪ちゃんのお母さんが雪ちゃんのお父さんと電話で話しているのを立ち聞きして……。それからあの話を作ったんですよ」
「では、五郎君のケーキのことは?」
と九条氏。
「それは……、あれは即興で、その場で五郎君に願いごとを聞いて創ったんです。僕に出来ることなら叶えてあげてもいいし、出来ないことならその時はその時だと思っていただけです」
「本当にその場で五郎君に聞いたんだね」
九条刑事の質問に対して、その点は保証するとの私の言葉に、刑事たちは振り返った。J君は突然の助っ人に、いくぶんほっとしたようだった。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (5) 第三節 ☆☆

   3

 次の日の子供達の騒ぎようといったらなかった。雪ちゃんのお父さんが雪ちゃんのお見舞いに来たのだ。なんでも、仕事の都合をつけて、なんとか午前中だけ仕事を休ませてもらったということだった。子供達はまるで昨日のJ君の話が本当になったといわんばかりに騒ぎまくっていたのだった。雪ちゃんのお父さんが帰った後、子供達はどっとこの病室に転がりこんで来た、昨日のJ君の話の続きを、さっそく聞こうということらしい。

   ☆☆

(きのうの続きだったね)
 次の日、雪ちゃんのおとうさんがお見舞いに来てくれました。ながれ星が願いを叶えてくれたのでした。
 雪ちゃんはびっくりして、病室のみんなにながれ星のことを話しました。みんなびっくりして、僕も願いごとをかなえてもらうぞ、私も願いごとをかなえてもらう、とその夜はみんなこっそりと看護婦さん達に見つからないように起きていました。雪ちゃんは夕べずっと起きていたので今日は眠くてしかたありません、とうとう一人で眠ってしまいました。ほかのみんなも一生懸命起きていようとしましたが、さっちゃんもひろし君もゆうき君もとうとう眠ってしまいました。
 五郎君は一人で起きていると、そっと窓のところまで行き、カーテンを開けると、じっと空を見上げながらながれ星を待っていました。ふいにキラキラと輝くながれ星が空の上の方に見えました、五郎君はすぐに……、
(五郎君、きみの願いごとは?)
(ぼ、ぼくケーキが食べたい)
(ハハハ、五郎君て食べることばっかり)
 ──と、これはさっちゃん──
五郎君はすぐに、
「ケーキが食べたい、ケーキが食べたい、ケーキが食べたい!」
と唱えました。
 五郎君は、ながれ星に願いごとも唱えたし、もうとっても眠くなっていたのでベッドのところまでもどりました、するとベッドの上にケーキが一つ置いてあるのです。五郎君はびっくりしましたが早速ペロリと食べていまいました。
(クスクス)
(アハハハ、五郎君らしいや)
 その次の日は、もう五郎君のケーキの話でもちきりです。みんな、いいな、いいな、とさわいでいます。よし、今度こそはと、さっちゃん、ひろし君、ゆうき君の三人ははりきっています。
 その日の夜、雪ちゃんはもう願い事を叶えてもらったので安心して眠っています。五郎君も願い事を叶えてもらったのですが、どうしてももう一個ケーキが食べたかったので、頑張って起きていることにしました。
 四人は、付き添いのおかあさんたちが寝たのをみて、窓際へいってじっと流れ星があらわれるのをまっていました。しかし五郎君は、前の日にあんまり寝てなかったのでつい、うとうとと眠ってしまいました。
 子供達は三人になったけれども、みんな必死に流れ星を待っています。
(さあ、そろそろ時間だね。続きはまた明日、次は一体誰の願い事が叶うんだろうね?)

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (4) ☆

   ☆

 あるところに、大きな病院がありました。とても大きな病院で、建物が三つ、それと渡り廊下が三つありました。お空から見るときっと三角の図形のように見えたことでしょう。その病院の名前は星野病院といいました。
(ねえ、星野病院ってここのことだよ)
(そんなこと知ってるよ)
(シィーッ)
 その大きな病院のとある病室に、五人の子供達が入院していました。みんなとっても元気で、とても病気をしてるようには見えません。その五人はいつも一緒になって病院中を探検してまわり、看護婦さんやお医者さんたちに怒られています。その五人の子供達は、女の子が二人に男の子が三人。二人の女の子は、雪ちゃんと、
(あっ、わたしのことだよ)
さっちゃん。
(こんどは、わたしだっ)
三人の男の子は、五郎君と、
(ぼくのことだ)
ひろし君と、
(こんどは、ぼくだよ)
ゆうき君。
(ぼく、ぼく)
 そのなかで、雪ちゃんはここのところ、毎日さみしい気分です。どうしてかと言えば、雪ちゃんが病院に入院してから、一度もおとうさんがお見舞いに来てくれないからです。
 ──そのとき、雪ちゃんは少しさみしげにうつむいた。彼女のおとうさんが見舞いに来ないのは本当のことなのだ──
 雪ちゃんのおとうさんはお仕事が忙しくて、毎日朝早くから夜遅くまで働いています。朝は早く会社にいかなくてはいけないので、病院には寄れません。夜は遅く帰ってくるので、病院はもう閉まっているのです。おとうさんもどうしても雪ちゃんのお見舞いに行きたいのに、どうしてもいけなくて悩んでいたのです。
 ある日のこと、その日雪ちゃんは、お昼寝をたくさんしていたので、夜になってもなかなか眠れません、ずっと目がさめたままでいたのです。あまりに眠れなくて雪ちゃんはしょうがなくベッドから降りて、そっと窓のそばまで行きました。そしてそっとカーテンをめくってお外を見ました。外はとっても寒いのでしょう、病室の窓はびっしりと濡れて曇っています。雪ちゃんは手のひらで窓をぬぐい、窓に顔を近づけてそっとお外を見てみました。そこには真っ黒な空の中にたくさんのお星様がキラキラと輝いています。その小さなお星様たちは、まるで今にも雪のように、キラキラと雪ちゃんの前に降ってきそうです。
 そうやってしばらくお星様を見ていた雪ちゃんは、突然キラキラと本当にお星様が降ってきたのでびっくりしてしまいました。それは白く小さなながれ星でした。
 昔からながれ星が見えている間にくり返し三回願いごとを唱えると、その願いごとが叶うといわれています。雪ちゃんはとっさに、
「おとうさんがお見舞いにきてくれますように、お見舞いにきてくれますように、お見舞いにきてくれますように」
とすばやく願いごとをかけました。
(さあみんな、検診の時間だ。続きは明日ね)

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (3) 第二節

   2

 子供というのは案外静かなものだと思う。
 その楽しみは、新年を迎える三週間ほど前から始まっていた。年末に入り慌ただしくなり始める時期だ。
 私の病室は、三階にある渡り廊下の、すぐとなりにある。ベッドに体を起こし、左側にある大きな窓をのぞくと、すぐ左に渡り廊下がつきだし、そのまままっすぐ私の正面に見える内科病棟まで続いている。その渡り廊下のつきあたるすぐ右、私のいる病室のちょうど向い側にあたる病室が、その子供達のいる病室であった。
 その子供達は入院しているといっても、ベッドに縛りつけられているわけではなく、どこが悪いのかと思うほど元気一杯に走り回っては看護婦さん達に怒られていた。その子供達がはしゃぎ回らずに静かにしているのが、不思議というかなんというか、私の向かいのベッドに寝ている、私と同じくらいの年齢の青年の周りであった。
 彼はJという童話作家だと名乗った。私はもちろん童話など読まないから、そんな作家が果たしているのか、しかも売れているのかいないのかなどは、とうてい知るはずはなかったが、とにかく彼のベッドのそばには童話の本や絵本が入った段ボール箱がおいてあった。
 彼は酔っぱらいにナイフで脇腹を刺されて担ぎこまれ、そのまま入院していたのだ。時々はっとするほど美人の姉が見舞いに来ていた。痛みは少ないのか彼は時々ベッドから這い出し、病院内を探索しているらしかった。
 彼が言うには、子供達に読ませるべき童話は、最高級といっていいほど質の高い作品でなくてはならない、そうだ。
「ぼくもそういう作品が書けたらなと思ってるんです……」
そういって恥ずかしそうに笑う彼は、やはり子供のように見えた。
 彼は暇があると小さなポータブル・ワープロを膝に乗せ、カチャカチャと小さな音を立てながら原稿を書いていた。そして子供達がどやどやと駆けこんでくると、さっとばかりにワープロをしまい、ベッドの下の段ボール箱から本を一冊取りだすと、まるで声優の様に変化に飛んだ太い声で朗読しはじめるのだ。子供達はその間、いつもの騒がしさはどこえやら、じっと耳を澄まし青年の少し青白く見える整った顔を見つめながら、わくわくするような、どきどきするような話に胸を躍らせているのだ。かくいう私もじっと聞き耳を立てるのが毎日の楽しみとなっていた。
 私も昔々に少し読んだだけの松谷みよ子の『竜の子太郎』やミヒャエル・エンデの『モモ』に感動している子供達は、まるで毎週のTVアニメの番組を見入るかのように、しんと静まりかえっている。彼の朗読を聞くのは私にとって、またとない娯楽であった。
 そんなある日、いつものように本を開き、昨日の続きを読みはじめようとした彼に、
「ねえ、今度はお兄ちゃんが作ったお話を聞かせてよ」
と一人の子供がせがんだのだ。
 彼は一瞬困った顔をしながら、
「よし、それなら、最初に昨日の本の続きを読もう。そしてまだ時間があったら、お兄ちゃんが作ったお話をしよう。ただし、検診の時間までだよ」
と手に持っていた絵本を開き、子供達に絵を見せながら昨日の続きを話し聞かせはじめた。
 本を読みおわると、検診の時間までは、まだいくらか余裕があった。そして彼は子供達を前に静かに語りはじめたのだ、悲劇の始まりとも知らずに──。

ホシニネガイヲ

ホシニネガイヲ (2)


「兄さん、あたしだって最初はくよくよしてましたよ。でもね、くよくよしたって始まらねえんですよ、前を見なきゃ、昨日何があったかなんて関係ないんですよ、明日何があるか、ただそれだけですよ。そうやって達観できるようになったのは、ほら、兄さんの見てるその窓、その窓から毎日小学生が通学してるのが見えるでしょう。その子供達の中にね、変な歩きたかをしてる男の子を見つけてからなんですよ。普通ならそろそろ下を通るころですがね……」
 そういわれてしばらく下のY字路を見ていた私は、ふとその子を見つけた。右足を大きく開きながら不自然に歩いている、右の膝を曲げずに体の外に半円を描くように歩いているその足は、黒いジャージに隠れてはいたが、あきらかに義足だった……。
 その子は四年生ぐらいだろうか、あまり大きくない体に、少しくたびれた黒いランドセルを背負っている。
「兄さん、あの子を見つけたようですね。あたしらいい大人が、歩けなくなっただとかいって、くよくよしてる時にあの子は嬉々として走り回ってるんですよ。それを見てあたしは思いましたね、そうかあたしなんかよりよっぽと辛いはずの子供達がきっとこの世界のどこかで“生きて”いるんだな、とね。それはそれで、もうどうしようもないほどの現実なんですよ。この世界のどこかで、この私達がベッドの上で悶々としているのと同じ世界のどこかで、ベッドに縛り付けられた子供達や、自分の存在を理解できないでいる子供達、食べる物も、そしてかまってくれる者さえもなく静かに息を引き取っていく子供達が、どうしようもない現実として、どこかで今を“生きて”いる。そう思った時、あたしも生きなきゃいけないなと、そう思うようになったんですよ」
 彼はそう言ってはにかんだように笑った。私をこの窓際のベッドに入るように取り計らったのはきっと彼なのだろう。
 数日後、彼は家族とともに車椅子に乗り退院していった。これから足を使わないでも運転できる車を買って、また運転をやるんだと言っていた。退院したからといって、これからの彼の人生が、少しでも良くなるわけではなかった。それでも彼は、とても明るかった。まるで私を励ますかのように。
 それ以来、私はつきものが落ちたように、憎悪の塊をどこかに置き忘れてしまった。それ以来の私の楽しみは、この病室の窓から、通学途中の子供達を見ることであった。
 私はくよくよするのはやめた、苦しいことだが、新しい人生について考えはじめた。この足で、おそらく松葉杖なしでは立つことも困難になるだろう、その私にどんな仕事が出来るだろう。マラソン・ランナーとしてはもはやどうにもならないことはわかっていた、大学に復学出来るだろうかとか、就職はどうしようかだとか、実家のミカン畑で働けるだろうか、などと漠然とではあったが、私にもどうやら生きる気力がわいてきたようであった。すべては日々力強く、そして嬉々として“生きて”いる、あの義足の男の子のおかげだと思った。自分の力で“歩く”ことの尊さ。私と車椅子との格闘が始まったのも、そんな時期であった。
 戦いを始めた私に第一におとずれた試練は、ベッドから車椅子へと移ることであった。まだ若いために、数ヶ月の入院生活での体力的な衰えはほとんどなく、ベッドの上に起き上がることに問題はなかった。だが、いざ車椅子に移ろうとすると、途端に腕がすくみ、恐怖心がわいてくるのだ。車椅子には、ベッドの上から後ろ向きに乗り込まなくてはならない。腕の力を利用し、ベッドの縁まで移動し、背後に車椅子があるのを確認し、思い切って車椅子の上へ落ちる……。この時の恐怖感をぬぐうのは並み大抵ではなかった。看護婦さんたちの助けを借り必死で挑戦し、第一の関門を突破すると、次には病棟の狭い廊下での死闘が始まった。
 狭い六人部屋の病室内では、車椅子の練習など出来るわけがない。私のベッドは、脇に車椅子が入るように若干移動してあるが、後は廊下へ続く一本道しかない。しかし廊下へ出ると、回診や検温、食事などの巡回があるため、思うように移動出来ない。しかたなく巡回のないわずかな時間を見はからい、廊下へ車椅子を乗り出していくと、車椅子をコントロールすることが思いのほかに難しいことに気付いた。車椅子の操作には独特の“コツ”が必要だった。方向転換するたびに、思いもよらない大回りをしてしまったり、そのまま壁に突き当たり身動き出来なくなることも度々あった。そのたびに、回りの患者たちから笑われ、あるいは声援を受け、私の車椅子操作の技術は徐々にではあるが向上してきてはいた。
 そんな車椅子との死闘から幾日か経過した頃、私には新しく、もうひとつの楽しみができた……。